災害心理学では、巨大な災害の後は、誰もが力を尽くす英雄期、被災者たちが力を合わせて助け合う密月期、忍耐が限界に達して行政の大胆な支援なしには立ちゆかなくなる幻滅期を経て、真の再建期が二年後に来るといわれています。
 しかし、災害心理学も原子力災害までは想定していなかったでしょう。福島県では、放射性廃棄物の最終処分地について結論が出ないと、いつまでも幻滅期から逃れられないと思う。今、「地震」「津波」「原発事故」「風評被害」の四重苦に、「風化」が加わっている。震災が、関係者以外の話題に上らなくなってきている。これが最もつらい。
 私が住む三春町への避難者に、「仮設住宅ができたら住むか」というアンケートをとったところ、三割が「住まない」と答えたそうです。住む場所や仕事を奪われ、それまでの生活は断ち切られたけど、せめてみんなと一次避難所にいることでその状況に耐えていられたのでしょう。
 ところが、中央から来た人たちは「避難所はプライバシーがなくてかわいそうだ」と、とにかく拙速に仮設住宅を造り、結果としてそこに被災者を押し込めてしまった。しかし周りから見えなくなった状況で、彼らは孤独に苦しんでいます。孤独死が相次いだ神戸の経験がほとんど生かされていません。
 「方丈記」にあるように、人は、この地球に仮住まいしている身です。一個人がやっていいことは限られている。どうしたって人間がコントロールできないものが自然。自然は常に脅威をはらんでいます。しかし、今回の震災が起きるまで、日本は災害の多い国だということを、毎年台風が来る地域以外は忘れていたのではないでしょうか。
 そして、科学技術への過信が、自然を征服しようとする考え方へ人々を傾けてしまった。科学技術というのは、それ自体の内部に歯止めはなく、すぐに慾望と同化する怖さを持っています。
 都市の物差しでは、東北は経済発展が遅れた地域という見方をされます。しかし、都市とは目指すベクトルが違うことに気づいてほしい。
 福島がすでにヒロシマ、ナガサキ、ミナマタと同じように片仮名で論じられている。特別な場所になったことは確かだが、これを逆手に取って、新しい価値を創出していくしかないでしょう。
 私の寺では、毎朝、炭で火をおこしてお湯を沸かしています。開祖以来、約六百七十年続いている習慣です。たとえば、そういう、生活のこまごまとした事象を、自然を基準にしながらもう一度選び直すべきときに来ていると思います。
 人間のすべての営為を「文化」という言葉で表すならば、それは絶対に換金できない価値を持っています。巨大なシステムに任せるのではなく、もっとコンパクトな、もっと手作りの社会を目指していくべきでしょう。それが自治の原点です。

 
     
福島民報 2011年9月30日