其の四  
     
   いったいこの国にはどうしてこんなに五重塔が多いのだろう。私が確かめただけでも国宝十一基、重要文化財十四基を含め、全部で四十七基ほどある。単なる観光用の塔も入れると数はさらに増える。
 本来、あれは仏舎利塔であり、インドでは饅頭型だった。それが漢代に中国に伝わって以後、木造でも造られるようになり、やがて三重や五重の層塔型のものが現れる。
 日本には朝鮮半島を通過して伝播したのだが、現在は中国に一基、韓国にも一基だけ残っているにすぎない。ところが日本では、こう言っちゃ失礼だが、雨後の竹の子ほども林立した。禰子も杓子も、つまり仏教寺院だけでなく神社にまで、次々に建てられたのである。
 いったいこの地震国でどうしたことだろう。しかしつらつら考えると、あるいは地震国だからこそ建てたのではないか、とも思えてくる。
 一度建てられ、これまでに無くなった五重塔を調べてむると、どうやら五基あるのだが、地震で倒れたものは一つもない。取り壊されたものが一基で、火事で燃えたものが四基で、そのうち幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとされる東京谷中天王寺の五重塔は、関東大震災や東京大空襲でも無事だったのに、なんと一九五七年の「放火心中事件」で焼失している。五重塔を道連れに、というのだから、じつにゴージャス、いや、不埒な心中である。
 ともあれ、この五重塔という代物は、落雷や火事には弱いもの、地震には極めて強いようなのである。京都で最古の木造建築とされる醍醐寺の五重塔は、一九九五年の阪神淡路大震災でもわずかに漆喰の壁がはがれただけ。今回の東日本大震災でも、青森、岩手、宮城、福島にある五重塔のすべてが無事だった。
 近頃は、建築家たちがその免震のための「柔構造」に注目し、「これぞ免震構造の教科書」と驚嘆しながら研究しているが、その構造の全てが明らかになったわけではない。しかし解明しきれないとはいえ、おそらく五重塔は、地震ではけっして倒れないという自信に裏打ちされているのである。
 倒壊して人が圧死するような可能性のある建物を、お寺や神社が建てるはずはない。五重塔は、いわば地震への不敵な挑戦状なのである。
 東日本大震災の最中に建築中だったスカイツリーも、じつに淡々と工事を続けた。五重塔の柔構造を真似たとされるあの塔にも、相当の自信が窺える。周辺の被害をよそに、計画を変更する様子もなく、気がついたら出来上っていたのだ。
 私は日本人のこのような営みに、地震国に住むがゆえの意地と祈り、そして祈りが生んだ技術の蓄積を感じる。頼もしく、またじつに誇らしいではないか。


 
東京新聞 2012年7月7日/中日新聞 2012年7月21日【生活面】 
  次回へ