いま、被災地では、「幽霊の問題」があちこちで起こっている。そのことは、今年(二〇一三年)の七月、京都大学の心の未来研究センター主催で開かれたシンポジウムでもテーマになった。生憎、私は先約があって出席できなかったのだが、連携研究員に名を連ねているため原稿は拝読できた。学術的な公の会議で「幽霊の問題」が扱われたのは、ちょっと画期的なことではなかっただろうか。
 そこでは主に釜石や石巻、相馬地区など、津波被災地での幽霊についての発表が多かったわけだが、私の住む三春町界隈の事例についても報告しておきたい。
 幽霊の悩み、幽霊の問題といっても、普通はどこに相談したらいいのか分からない。行政にもそれらしい窓口はないし、お医者さんや保健師さんの範疇でもないだろう。ならば心理カウンセラーか、とも思うが、そういう職業の人がどこに行けば会えるのか、普通は分からない。結局悩みを抱えた人々は、たいてい宗教者や「おがみや」と呼ばれる霊能者などの所へ行くのである。
 断っておくけれど、私は幽霊が専門でもないし、むろん得意でもない。『中陰の花』で芥川賞をいただいて以来、ああ、それならあの人のところじゃないか、と安易に思う人が多くて困るのだが、私も正直なところあまり近づきたくはないし、扱いたくない問題なのだ。しかし他にアテにできそうなのは「おがみや」さんだけ、となると、どうしてもやってくる人がいるのである。
 その時も、タクシーに乗ったその人は、まず役場に行ったら「宗久さんの所にでも行ってみてはどうか」と言われたらしい。「でも」は気に入らなかったが、とにかく二日後の儀式を引き受け、小雨降る日の仮設住宅に出かけてみたのである。
 透明な波板トタンの下に、大きなテーブルを囲んで長椅子が四脚置かれている。私が一つの椅子の前で祭壇などの準備をするあいだ、三方に分かれて坐った六人が口々にいろんなことを話すのである。
 もう一年以上、毎晩ではないのだが、その跫音は、必ず夜の十二時すぎに、一時間ちかく聞こえるらしい。
 約五十世帯用の仮設住宅は、現在は二十五戸ほどしか埋まっていない。その音は、空いている住宅のほうから聞こえるらしいのだが、どうもヒタッ、ヒタッ、という妙に湿った跫音なのだ。
 当初は、音が聞こえる自分だけのような気もして、それこそ個々人の悩みだった。ところがある時、思い切って話してみると、「私もそうだ」「俺んとこも聞こえる」となった。皆が「事実」と思いはじめたのである。
 音が聞こえるのは、今や無人になった仮設住宅の、東側の夫婦と西側の若い女性、そして二メートルほどの通路を挟んだ向かい側に住む自治会長さんの四人である。役場からタクシーに案内され、私に頼みにきたのはその自治会長さんなのだ。
 六十代と思しきその会長さんによれば、無人のカセツに住んでいたお爺さんは、去年病気のため亡くなったらしい。残念なのは、そのとき奥さんであるお婆ちゃんも入院しており、お葬式にも参加できなかったということだ。お婆ちゃんは今も入院しており、カセツの部屋の鍵は、今は仙台に住む娘さんが持っているらしい。
「このカセツに住んでから、みんな具合が悪くなってるんですよ」
 自治会長さんがそう言うと、私の左側に坐っていた二人のお婆ちゃんも、正面に坐った二人のお爺ちゃんも深く頷いた。右側、自治会長さんの横に坐った若い女性は黙ってこぬか雨を見つめているようだったが、たぶん三十代だから、彼女はそれほど体の不調を感じていないのだろう。
 私はあくまで幽霊の問題としてではなく、カセツでの運動不足、避難後の怯えなどの問題として返答した。しかし左のお婆ちゃんの一人が、すぐに「こういうことって、あるんでしょうかね」と訊いたので、あっという間に幽霊の問題に戻った。「こういうことって?」「いえ、夜中に跫音がするなんてね……」。どうやらそのお婆ちゃんは、実際には音を聞いていないようなのである。
 確かめてみると、実際に音を聞いているのは、ここでは自治会長と三十代の女性だけ。もう一軒のご夫婦は病院に出かけて留守……。ということは、当事者が二人で、あとはギャラリーなのだ。見ると長椅子に坐っていない若い女性も二人、小雨に濡れながら立っている。どうやら役場から、私の仕事ぶりを確認に来ているようだ。
 少々やりにくかったが、私は祭壇の設えが済むと、まず焼香して『般若心経』『消災呪』を唱え、(リン)を叩きながらカセツの通路を歩いた。そして祭壇前に戻ると、施餓鬼用の『開甘露門』と『大悲呪』を唱え、坐っていた六人と役場の二人にもご焼香していただいた。いや、私が特にお願いしたわけではなく、役場の二人も最後に自然に焼香してくれたのである。
「これでもう大丈夫ですよ」
 私はできるだけ自信ありげに言い、それからお寺で用意してきた「四天王」の紙片を部屋の四隅に貼るようにと渡した。音が聞こえる三軒と空き家の分、四組である。「画鋲でもいいんですか」自治会長さんが訊くので、私は「大丈夫です。糊でも両面テープでも、何でもOKです」と、まるでそれは念のためなのだとばかり、明るく答えた。
 それから私は、「不思議なことはありますよ」と言って、さっきのお婆ちゃんに答えるつもりで話しだした。せっかく来てくれたのだから、なにか話してほしいと、リクエストもされたのである。
 結局三十分ほどかけて話したのは、いろいろ不思議な現象は起こるし、時には幽霊だって「出る」けれど、それは必ずしも幽霊が「いる」というわけではない、ということ。おそらく皆さんのなかに、隣のお爺ちゃんのお葬式に出られなかったお婆ちゃんへの同情のような気分が、無意識に共有されているのではないか、というような話である。
 しかしあまり話しすぎて、せっかくの儀式が効かなくなってしまってはいけない。本当は、理屈は言わずに去ったほうがいいと思うのだが、困った性格である。その場にいなかった二人の当事者を気にしつつ、私は一時間半ほどで戻ってきた。小雨は上がって晴れていた。
 十日経った今日、自治会長さんに電話してみたが、その後も跫音を聞いていないらしい。いったい何に効くのか自分でも分からないのだが、今後も応急的な供養は続きそうである。


 
 
「復興学」2013vol.3(東北学院大学)