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土橋先生に初めてお目にかかったのは、ラジオの対談のためだった。長年、ガンを含む外科治療の第一線で活躍されていた先生が手術の現場を離れ、東京と大阪でガンについての相談室を開設されてから、まだそれほどは経っていなかったと思う。
そのとき私は、初めて「病跡学」という言葉を教えていただいた。西洋医学に欠けている病気の原因についての探究を、先生は統計的な手法でされようとしていた。簡単に云えば、どのような生活習慣や思考習慣が、どのような病気を招くのか。心理的な要因も含めて病を跡づけようというのだった。
心が病を引き起こすということは、宗教者の認識としては当然すぎるくらい当然のことに思える。しかし西洋医学のお医者さんがそれを云うのは非常に勇気の要ることだろう。誰もがうすうすは感じていたことだろうが、ガンも心身症だという先生の考え方は、あらためて我々に人生そのものを問いかけている。
この本にはじつに多くの具体例が書かれている。さまざまなガンに罹った人々のストレスの分析も興味深いが、やはり最終章に示されるガンの治癒例が面白い。
面白いといっては不謹慎かもしれないが、どうしてもそれは不思議な話なのである。
数多くの不思議な患者さんを診ている先生は、自信をもっておっしゃる。「心がつくるガンは、心で治せる」と。だからこの本の最終的なテーマは、結局どのような心がガンをつくり、それを治すのはどのような心なのか、ということだ。
しかし心というのは不思議なものだ。本書では大脳生理学的な観点も示されるが、それで全てが理解しきれるものでもないだろう。そして不思議な心を言葉に置き換えることはさらに難しい。
先生にとっても、きっとそれを言葉で表現することは、内視鏡を使った手術よりも難しかったのではないだろうか。
詳しくはむろん本文で読んでいただき、それぞれで判断していただきたいが、私にはガンを治しまた予防する心には、微風が吹いているのだと読めた。しかし先生も仰るように、意識して心がけても微風など吹いてくれるとは限らないのだから難しい。先生の勧める非常識の心がけも、固着した心を解きほぐす有効な手段と思えるが、それとてあまりに固定的な意志になれば一種の常識になってしまうだろう。やはり風が欠かせないのである。
「病跡学」が言葉の表現となる以上、その言葉はこれからもどんどん進化していくのだろう。いわば先生の表現そのものにも微風が吹きつづけるということだ。
正直なところ、私は本書の結論にほっとしている。誰にでも共通する確定的な言葉がはっきり示せるなら、それはすでに個別を離れている。あくまでも臨床の人である先生は、科学の美名で一般論に持ち込むことをしないでくれたと云えるだろう。
もともと医学は、身心という全体性を扱うわけだから、科学には収まりきれなかったはずである。しかし今や、多くの人々が科学という宗教に固執し、まるでガリレオの頃の教会が宗教的見解を固持したように、科学としての医学に固執している。そうか、もしかすると、土橋先生は、現代医学にとってのガリレオなのかもしれない。
人間の全体性から切り離された科学的医学を超え、心を含んだマットウな医学が夜明けを迎えようとしていることを、私は喜びたい。現在の医学や読者自身の積年の思い込みに風穴があき、微風が吹きはじめることを願っている。
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