日曜論壇 目次
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第32回 まもなくクランク・アップ
第31回 新作『阿修羅』のこと
第30回 さまざまな立場
第29回 生物多様性と多文化共生
第28回 団子と頭痛
第27回 さまざまな正月
第26回 金風
第25回 お寺のゴミの問題
第24回 私は裁きません!
第23回 なんのための改名か!
第22回 新しい郵便局にお願い
第21回 未然防止策?
第20回 奈落の月
第19回 ちょっと待って!
第18回 若冲展に思う
第17回 嗜好品という文化
第16回 約束
第15回 母から子への手紙
第14回 無鉄砲と、鉄砲
第13回 「小学校英語」必修化に反対!
第12回 木瓜と認知症
第11回 「満」と数え年
第10回 いくつもの春
第9回 ネコとヒトの教育
第8回 電話の電話、郵便の郵便
第7回 同期の不思議
第6回 御朱印コレクション
第5回 自燈明
第4回 帰りなん、いざ!
第3回 ウォーキング・サピエンス
第2回 形而上的おぼん
第1回 タケノコ狩りと自立
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最近どうも、電話に関係した電話が多い。要するに、新しいシステムができて、これまでより安くなるので加入しないか、というお誘いのようだが、どうも要領を得ない。
要領を得ないだけでなく、なかには詐欺的な手法をとるところもあって、じつに困ることもある。以前、セールスの口調が「どの家庭もそうすることになっている」「まもなく切り替わるが、今すればタダだけれど、来年からは有料になる」などと云うので、つい応じてしまったことがある。
しかし指定した日に来た工事人に問い質してみると、どうも話がよくわからない。それで結局断ったのだが、それ以後もべつに電話のことで困ってはいない。
聞くところによると、今や電話の大手会社はセールスをほとんど小さな下請け、あるいは孫請けの会社に任せており、お互いの情報整理は行われていないらしい。いわばそれぞれが勝手に商売に励んでいるだけで、一般家庭の事情を商売抜きで心配してくれる人など、いないのである。
現在日本は、国をあげて郵政民営化問題に明け暮れている。政党の分裂まで起こっている状況だが、こうして商売に明け暮れる「民」を、どうしたら信用できるのだろう。
なるほど国鉄にしても電電公社にしても、民力が活性化した部分はあるだろう。サービスの向上もあったかもしれない。
しかし忘れていけないのは、この投機的資本主義の世の中にあっては、「民」は自らの利潤のみを追求するものだ、ということである。けっして個々の人が信用できないというわけではないが、システムとしてそうなっているのだから仕方ないのである。
現在の日本では、福祉も幼児教育も、競争して勝ち、大きくなることで生き残ることが要請されている。大きくなると補助金がより大きくなるというのは、そういうことではないか。
こういう現状のなかで郵便局が民営化されたらどうなるのか。商売にならない田舎の郵便局はなくなり、もしかするとポストだって撤去されるかもしれない。
そんなことはない、と云う人々は大勢いるだろう。しかし公衆電話の激減を見てほしい。携帯電話を持たない人々への配慮は、明らかになくなりつつある。先日、お寺の公衆電話のガラスが割れたので、NTTに電話したら、そういう部局そのものが今はなくなったと云われた。お寺に大赤字の公衆電話を置きつづけているのは、いわば福祉のようなものだ。
お寺だって利潤追求の「民」そのものになったら、毎年赤字の電話を置きつづけることはできないのである。
郵政民営化そのものにモノ申したくて書いているわけじゃない。とにかく電話の電話が多すぎるのだ。以前ストーカーに狙われ、特定の電話がかからないように処理してもらったことがあるが、こういう無差別の電話ばかりは防ぎようがない。しかもその電話がNTTやらKDDIを語るのだから処置なし、である。
郵政が民営化すると、いずれ郵便の郵便が来る日もあるだろうか。つまりうちで出したほうがこれだけ安いと、毎日ダイレクトメールが届くのである。
ああ、時間も紙も労力も、なんともったいないことだろう。
福島民報 2005年8月28日 日曜論壇