「海という暗黒」玄侑宗久
     
  私が生まれた町は海から遠く、今も私はその町に住んでいる。
 その代わりというのも妙だが、町からさほど遠くないところに大きな湖があり、幼いころの私はそれを海だと思っていた。
 大きな湖だし深さも百メートル以上あるから、ちゃんと波もあり、夏には溺れる人もあり、通念自殺者もいた。よく人づてに聞いたのは、底のほうに急流があって、溺れたにしろ自殺したにしろ、そこまで沈むと上がってこないという怖い話だった。
 近所の人に連れて行ってもらい、水遊びするときも、私はよくその話を憶いだして身震いしたものだった。湖の底にはいつしか死のイメージが貼りついてしまったのだろう。
 湖でも充分怖かった私が、本物の海を見たのはたしか小学校に入ってからだった。
 具体的にそこで何をしたのかは覚えていないのだが、私は夏休みの体験を絵に描くという美術の宿題で、海の絵を描いた。それはけっして海水浴の楽しい絵ではなく、夕焼けの海だけをいろんな絵の具を使って描いたのである。
 先生はその絵を見ると、じっと睨んだまま言葉を探しているようだった。たしか絵の裏に赤丸のハンコを押し、宿題を皆に返していたときだったと思う。若い女性の先生だったが、少し首を傾げ、私の描いた海の絵に見入る。誉められる雰囲気でないことはすぐに分かったが、先生はとうとうその場では絵を返してくれず、あとで職員室に来るようにと厳かに告げたのである。
 職員室で私は、どうして水平線がこんなに黒くて太いのかと、先生に訊かれた。私がうまく答えられず黙っていると、先生は「本当に君には海がこんなふうに見えたの」と問い詰めた。
「はい」
 私はたしかそう答えたように思う。すると先生は、なんだか不機嫌になって、「分かったわ、もう帰りなさい」と冷たく言い放った。絵を返してくれたのはそれから何日かしてからだったと思う。
 私には、自分でもどうして黒を使ったのかよく分からなかった。しかし返してもらった私の海の絵には、何度見ても青や黄色や緑や橙のラインの上に、幅三センチほどの黒い帯がたしかに描かれていた。それはまるで、黒い蓋をしたような海だったのである。
 中学になると、私は自分に先端恐怖症の傾向があることを知った。教えてくれたのは保健の先生ではなく国語の先生だったが、どうにも机の上のエンピツの先などが自分のほうを向いていると感じられ、しかもどんどん大きくなって近づいてくるような気がして、頻繁に瞬くのである。
 町を歩いていても、物干し竿の先や道路標識の角などが、自分のほうに向かって伸びて刺してくるように思える。そういう状況を説明すると、けっこう年嵩だった国語の先生は、「それは先端恐怖症じゃないか」と教えてくれたのである。詳しく調べたりはしなかったけれど、そのものズバリの病名だったから、私は瞬きの理由が分かったような気がしてそれだけで安堵したように思う。病名を告げられて安堵するというのも思えば奇妙なことだ。
 しかし私はそれを聞いて、もしかしたらそのせいで水平線を黒く塗ったのではないかと思ったのである。
 小学校の低学年で描いたあの海の絵が、私の中に棲みついているようだった。先生の反応も、また黒い水平線そのものも、忘れるどころかどんどん強固な記憶になって頻繁に憶いだされる。修学旅行で三浦半島の海を見たときも、夏にたまたま海に行く機会があっても、私は海といえばどうしてもあの絵を思うようになっていたのである。
 海という漢字の本来の意味を知ったのは、たぶん大学に入って中国文学科に進んでからだと思う。それはショックというか、先端恐怖症以上の納得を私にもたらした。
「海」の旁にあたる「毎」という文字には、本来頭に髪飾りをつけすぎて鬱陶しい女性の姿という意味がある。いったい何という意味合いの漢字を中国人は作るのだろう。しかしそれなら「晦」が「くらい」意味なのも、「悔」が「くいる」なのも納得できる。要するに海とは、そのように化け物みたいな女性のいる、暗黒の世界なのである。
 「四海波平」などは漢詩によく見られる表現だが、それは中国という開かれ進んだ国に対し、四方の未開で野蛮な国々がおとなしく従っている状態を指す。単に世界が平和というわけではないのである。
 それにしても、私のなかの海の暗黒はその認識によって一層深まり、強まったと云えるだろう。しかもそこには無数の髪飾りをつけたよく分からない女が立っている。
 やがて私のなかでその女は、ギリシャ神話のプロテウスになった。プロテウスはポセイドンの子供とも云われ、女性とは思えないが、下半身は魚で上半身は何にでも姿を変える。大蛇、鹿、豹、猪、そして獅子にだってなれる。流水そのものや樹木にさえ姿を変えるというのだから捕まえようがない。いや、予言が得意だというので、捕まえて予言が聞きたいのだがけっして捕まらないのである。
 世界には、やはり海を怖ろしいものと感じた人々が多いのだろう。私は「海」の語源やプロテウスなどを知るにつけ、自分が水平線を黒く塗りつぶしたのも無理はなかったのだと思うようになった。
 そして、その昔は明らかに死のイメージだった暗黒が、今はまた別なイメージに変わりつつあるのを感じるのである。
 私の名前に使われている「玄」という字は、本来すべての色を合わせた黒に近い色である。すべての色が混じれば黒になり、すべての光を合わせると白色光になる。それはたしか美術の授業でも習ったことだった。
 しかしそのことをもっとリアルに体験したのは、二十七歳で修行に行った道場でのことだ。一番厳しい十二月の摂心では殆んど眠れないままの坐禅が七日間も続く。たしかその三日目か四日目ではないだろうか。疲労困憊の極致で坐禅を続けていると、障子の隙間から射しこむ光が七色に広がって見えた。それは中学生の頃の先端恐怖症の見え方を憶いださせたが、このときは怖いどころかじつに美しかった。しかも白から色が現れて七色の虹のように大きくなり、幾筋も重なりながら黒に収斂していく様子が誠にリアルに感じられたのである。
 私はこのときもしばらくすると私の海を憶いだした。禅堂に坐る仲間の人影にも緑色のオーラが見え、やがて禅堂のあちこちから七色と黒と白とが渾然と放射しはじめたのである。
 ああ、私の海はこれだったのだと思うと、思わず私は泣けてきた。明らかにそれはトランス状態の招いた視覚の変成だろう。しかし私次第で世界がそのような顔を見せるのは間違いないことだ。敢えて泣けた理由をつければ、それを発見した嬉しさということなのだろう。
 最近の私にとっては、海は深い無意識世界を象徴するものとしてときおり立ち現れる。いわゆる唯識においては、人間の意識の奥底には阿頼耶識とか含蔵識と呼ばれる人類ぜんたいの無意識が眠っているとされるが、ユングの集合的無意識も含め、それはどうしても暗黒のイメージなのだ。その暗黒から大蛇や鹿、豹などに化けたプロテウスも現れる。そうして同一化しながら解離しつづけ、常に波を生じつづけている。もしも我々の脳の奥底に、深くて暗い海のような無意識があるとするなら、そこに同一性を求めるなんて初めから無茶ではないか。同一性を求めすぎるから解離するのではないか。海は今、そんな現代人の病理を私に想起させてくれる。
 すべては小学生のときに描いた海の絵に始まる。私がどんなに遍歴しても、海は常に手に負えず怖くて魅力的だった。やはり海には、別世界の女や変身上手なプロテウスが棲んでいるのである。

     
「TASHINAMI」Vol.2 No.2 Summer2009