其の参拾七  
     
   世の中には、「ひょん」なことで人生が大転換したりする人がいるものだが、先日もそれを感じる機会があった。
 沼津生まれの白隠禅師を顕彰する「白隠塾フォ-ラム」での講演を終え、私はその翌日、同じ沼津市で石彫りに励む従兄の寺を訪ねた。そして膨大な石彫群を前にしたとき、思わず先の感慨をあらためて深くしたのである。
 私の父の兄の長男である宗一和尚は、鎌倉の円覚寺僧堂に居たときから普通ではなかった。お盆休みにうちの寺に投宿したのだが、夕方から座敷で独り坐禅に励み、ふと気づくと、よれよれの麻衣の上に蚊がたくさんとまり、あの高い「ラ」の翅音を響かせていた。私が近づくと蚊の群れが動き、腕や顔や頭から黒い煙がたつように見えた。思わず「かゆくないの?」と私は訊いたのだが、雲水だった宗一さんは「かゆいよ」と当然のように答えたのである。
 不思議な人だと思っていたら、そのうち尺八を習いはじめ、師範になったと仄聞した。しかし沼津の白隠さんゆかりのお寺に入り、しばらくお会いしていなかったのだが、近頃はお会いするたびに情熱を込めて白隠さん、そして石のことを語る。
 どうやら面白い石屋さんとの出逢いがあったらしく、境内にはその石屋さんにもらったという石が乱立している。磨かれた表面には禅語や俳句や般若心経、そして最近はとにかく白隠さんの墨跡が和尚自らの手で彫られ、周囲を圧している。
 宗一和尚が言うには、「石は軟らかいんだよ」とのこと。言われてみれば釘一本でも傷つくのだし、解らないことはない。しかし私にすれば、石は硬いし冷たいもの。自然石など、紙やすりも使わず両手で磨くというのだが、初めは信じられなかった。
 しかしやがて私は、『荘子』養生主篇に登場する「庖丁」の話を思い起こしていた。牛を解体する名人の丁さんは、心で牛に向き合い、牛の自然に従って刀を使うので、骨にぶつけることもなく音楽的な刀捌きで解体してしまう。だから十九年間に数千頭を捌いたが刃こぼれ一つ起こさないのだという。
 私は勇気をもって宗一和尚に訊いてみた。「鑿はどのくらいの周期で研ぐんですか?」「丸鑿ばかり使うんだが、もう五年は研いでいないな」「……おお」。正しく鑿を使えば、石を彫ることじたいが研ぐことになる。だから研ぐ必要などない、という。
 吾が従兄ながら、私は名人を見る眼で宗一和尚を見直した。法衣を着たその姿は、木喰や円空にも重なってみえたのである。
 折しも再来年は白隠禅師の二百五十年遠諱(五十年ごとに行なわれる法要)。本山から白隠さんの生誕地に建てる石碑も頼まれたらしい。「ひょん」が重なり、宗一和尚の人生は思わぬ方へどんどん深まっていく。


 
東京新聞 2015年4月4日/中日新聞 2015年4月18日【生活面】 
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