震災後、テレビでの露出がすこし増えたような気がする。福島県三春町に住む私は、被災地のこと、あるいは宗教との関連でインタビューなどを依頼されると、なんだか出るしかないような気分になる。もしかすると、復興構想会議のメンバーになってしまったツケを払う意識かもしれない。
 当の会議は、阪神淡路大震災のときのように十年は続くと思っていたのだが、約二ヵ月半で「復興への提言」を提出し、実質的な会議は終わってしまった。実際、あまりにもメディアで発言手段をもつ人々ばかりだったし、不安定な民主党内でもあったから、たぶん野田総理は同じメンバーを前総理から引き継ぐ気にならなかったのだろう。申し訳のように十一月に会議はあったものの、翌年の二月に復興庁名でぽろりとお役御免のハガキがきた。
 もとより復興庁ができたあとは、復興構想会議から復興推進委員会に移行することになってはいた。しかし殆んどのメンバーは継続して復興に加担するつもりでいたから、そのまま推進委員会のメンバーになるものと思い込んでいた。解散はメディアでも大きく扱われなかったから、今でも「大変でしょうね」などと言われるのだが、今やまったく無役。呆気ないほど簡単に、公式に意見が言える場所がなくなってしまったのである。
 そんな私のところに、その後二つの奇妙は話が持ち込まれた。
 一つはもっと深く政治に関わらないか、との主旨。たとえば創価学会は公明党をもち、宗教的な考えを政治に反映させるスベを持っている。ならば既成仏教宗派とて、政治にもっと意見を反映させてもいいのではないか、というのである。
 TPP反対、原発推進反対、あるいは地方自治の推進でも、仏教各宗派の考え方はほぼ一致するではないか。その政治家は、私にそう詰め寄るのだが、なるほど正論である。
 その頃の私は、被災地の宗教施設への支援がまったくなされないことに苛立ち、それどころか中越地震のときのような基金も創られないことに失望していたから、些か揺らいだ。私が直接的に関わるのではなくとも、そんな政党があるのはいいことじゃないか、という気分も、少しは兆していたのである。
 しかしもう一つ、私のところには全く別な話も持ち込まれていた。震災に直接関わるわけじゃないが、日本人の「祈り」を深いところから探訪する番組をつくりたいという、日本テレビのプロデューサーからの話だった。京都の講演先まで押しかけられ、翌日の東京まで電車のなかで説得、懇願された。
 結果は、ご覧になっている方もおいでかもしれないが、後者だけがBS日テレ「日本100巡礼」として稔ることになった。
 要は「宗教と政治」というような大上段な問題である。
 私自身、自分の浅い考えを政治に活かすことより、日本人の信仰や祈りの多彩さ、奥深さに触れるほうがずっと面白い。時代により、宗教の様相は大きく政治に左右されてきたが、それを政治的な思惑抜きに巡る(巡ってもらう)のが非常に楽しい。そしてその楽しさは、政治が目論む規格化とは逆の方向に広がり深まっていくようなのだ。
 誰かが仏教的政党を立ち上げると言えば反対はしないけれど、私自身は宗教と文学という、個人的な領域に今後も生きつづけていたい。


 
     
     
「文藝春秋」2013年7月号