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二十代、死ぬことを考えた日々を憶いだすと、不思議なことに気づいた。住んでいた部屋や建物の外観、駅の名前は覚えているのだが、駅からそのアパートまでの道筋や、逆にアパートから駅までの景色がまったく憶いだせないのである。
いったい何を見て歩いていたのだろう。
たぶん歩幅も狭く、首も回らず、意識は頭にばかり行っていたのだろうと思う。
要するに、病んでいたのである。
今は、たとえば手作業するときは意識を手におき、歩くときはからだの中心部に意識を保ち、椅子に坐れば意識は椅子との接触面に広げる。そうすると、余計な考えが煮詰まらず体が動かしやすいばかりでなく、自分が常に変化しつづけているのが実感できるのだ。
常に変化しつづけるなら、最悪の事態も好転するに決まっているではないか。
変化は自分だけでなく、周囲との関係のなかでとてもダイナミックに起こる。
今後の成り行きを頭で勝手に分かったつもりになり、もう死んだほうが、などと思ったことが今はとても恥ずかしい。
私が若かった頃よりも社会の情勢はもっと息苦しく、生きにくい世の中になっているとは思う。若者や高齢者には、特に情がない社会制度だとも思う。
しかしどうか諦めないでほしい。
人生という崇高な作品の完成は、粘りづよく苦を乗り越えていった晩年だけにあり得るのだと思う。私はこれまでほぼ千人ほどの死に顔を見てきて、つくづくそう思うのである。
最後に一つだけ、あなたの白血球の寿命がほぼ二十四時間であることを申し上げておきたい。白血球は毎日入れ替わっている。昨日の続きが今日ではないのである。 |
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