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   『荘子』が、『老子』と共に老荘思想として括られ、禅の淵源(えんげん)にあってその思想的背景をなす書物である。荘周(そうしゆう)という人物と、その弟子筋の言葉をまとめたものが現在まで伝わる三十三篇ものの『荘子』だが、ここではつれづれなるままに、『荘子』の中の印象深い言葉を紹介したいと思う。
 荘周じしん、言葉は風波のようにアテにならないと言う(人間世篇(じんかんせいへん))。しかし語らなくては何も始まらないので、「妄言」するから「妄聴」せよ、というのが荘周の基本的態度である(斉物論篇(せいぶつろんへん))。私もそういうつもりなので、どうか気楽に妄聴、いや、妄読していただきたい。
 堅固だった常識が音をたてて崩れ、そこに気持ちよく風波が過ぎ去ればそれこそ私の本懐である。荘周にとっても本懐であれかしと願う。

 今回はまず、「礼儀」というものの恐ろしさについて書いてみたい。
『荘子』人間世篇には、なんとあの孔子や顔回が何度も登場し、いろんなことを語るのだが、この発言も孔子のものとして書かれているところが皮肉である。
 孔子は、技を競い合う者は、初めは陽気で楽しそうでも、終わりになると必ず陰鬱な悪意をもつようになると語ったあとで、次のように言う。「礼を以て酒を飲む者は、治に始まりて、常に乱に(おわ)る」。
 つまり、礼儀作法に従って酒を飲む人は、初めこそおとなしく神妙だが、最後は必ず乱れてしまうというのである。
 不思議に思うかもしれないが、そもそも荘子にとって礼儀というものは、心がないからこそ必要になる飾りのようなものだ。『老子』には「大道(すた)れて仁義あり、(中略)六親(りくしん)和せずして孝慈あり、国家昏乱(こんらん)して貞臣(ていしん)あり」と述べられるが、つまり仁義や孝慈や貞臣などは、それぞれ大道が廃れ、親族関係が悪化し、国家が混乱してきたために必要になったもので、本来はないに超したことはないというのである。同じように、礼儀など取りざたしなくとも心が通い合うのが一番で、礼儀が重視されるのはすでに心が自然には通い合っていない証拠なのである。
 礼に心が一致せず、形だけが一人歩きしている実例は、あちこちでよく見かける。自分にもできないことを、「決まりだから」と取り締まる警察官なども、酔えば乱になりやすい。また自分がどんな精進をしているかに関係なく、立場上初めから「先生」と奉られる学校の先生なども、礼と心が乖離(かいり)しないよう注意が必要だろう。
 礼は、往々にして心に先行して身につけるから恐ろしいのである。酒が入ると、その隙間がクレパスのように大きく開くのだろう。
 儒教の歴史を眺めると、同じ孔子の弟子でも、礼を重視した人々から「性悪説」の荀子が現れ、孝を重視した一派から「性善説」の孟子が出てきている。礼が重視されるとやがて心を(ないがし)ろにされ、細かい決まりと厳罰によって人々を管理しようという発想になる。一連のその流れから出てきたのが秦の始皇帝に見込まれた韓非子である。
 こう申し上げるt、きっと孝にだって礼が必要だと言う人々もいることだろう。しかし孝における礼は、これ以上落ちないというストッパーにはなっても、こんなに孝が実現しているというバロメーターにはなりえない。孝の気持ちもなく、品物だけを外聞を気にして送るようになると、そこには間違いなく礼が冷たく紛れこんでいるのである。
 形のうえでは礼を守りつつ、それとはそぐわない気持ちをあからさまに示す「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」というのも、ある意味では礼が引き起こす複雑怪奇な表現かもしれない。
 さて酒の場面に話を戻そう。
 この国では、飲むときでも座る場所(座位)を論ずる人々がいる。当然、下の者が上の人に酒を注ぎあるくなど、気遣いも多い。しかし酒を注いだりしているうちはまだ礼も崩れにくい。問題なのはそれが一段落して、それぞれ自席に戻る頃合いである。
 儀礼的な時間が済むと、どうしても人は本気で話せる楽しい人のところに集まる。場に粗密ができるのは仕方がないことだ。人が目の前にいれば気も遣い、歓談もするだろうが、誰もいなくなったらどうか。
 じつはそのときこそ、本当の「礼」が問われるのである。
 礼と心が一致し、すっかり「身についた」人は、誰がいなくともすでに自足しており、ゆったりと飲食そのものを楽しんでいる。そこには、最も大切にし、礼を尽くすべき相手がちゃんといるではないか。独りで飲食する姿には、どう隠しても「それ」が露見してしまう。そして身についた「それ」を、荘周は「礼」とは呼ばないのである。


 
 
「なごみ」2011年1月号