『荘子』 ところでこのときの、一番弟子 「回よ、天損を受くる無きは 敢えてその意味を尋ねる顔回に、孔子は懇切に解説を加える。 天損とは天災と思えばいい。飢えや渇き、寒さ暑さの苦しみに遭って行き詰まったとしても、それは天地自然のなりゆきとはどうしたって運命をともにし、完全に服従して生きるしかない。それは家臣が主人に仕える以上のことだ。しかしどんな事態であれ、天命と受けとめさえすれば苦しみではなくなるから、「天損を受くる無きは易く」となるのである。 それなら「人益を受くる無きは難し」のほうは、どんな意味なのか。孔子はまた丁寧に答える。 諸侯の元を遊説して政治の要を話そうとする自分は、きっと その点、 しかしそれほど用心深い燕が、それならなぜ、家の軒先などに巣をつくるのか。じつはそこにこそ彼らの賢さがある。国家が人民を保護する機構であるように、人も懐に飛び込んだ燕はむしろ保護する。だからこそ孔子も、諸侯の元を訪ねるのだが、きっとそれが利益を求めてのことと勘違いされるのだ。故に「人益を受くる無きは難し」。 なんとなくこの比喩は、今の日本人の状況を彷彿させる。 国家が我々を守ってくれるのかどうか確信はないものの、とりあえず人々は恐ろしい原発の 孔子は国家に国民を保護する理想を見ていたが、じつは老子や荘子はそんな期待さえ持ってはいなかった。生活上の必要から生まれたコミュニティーとしての小さな 思えば日本も、江戸時代の各藩自立した状態から国民国家に生まれ変わるため、さまざまな「搾取」と「人益」とを生みだしてきた。 原発は、戦後のこの国の中央と地方をまとめ、共に「豊かさ」へと牽引するための巨大な装置だったのだろう。 しかし我々は今、国家を肯定する孔子でさえも燕の用人深さを讃えたことを思い起こさなくてはならない。 この国に住みつづけるためには、口に咥えた「人益」をすぐに放り出し、国家にも同じことを求めなくてはなるまい。いつ爆発するか分からない危険な家では、さすがの燕も飛び立ってしまうはずである。 |
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「なごみ」2011年11月号 | ||
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