其の三拾六  
     
    二月初旬に講演のため、沖縄本島へ出かけた。いつも沖縄に行くと思うことだが、向こうのお墓は凄い。
 およそ八百年前に中国の福建省や雲南省辺りから伝わったとされる「亀甲墓」を初め、屋形船になった「破風墓」、自然の崖などを利用した「打ち抜き墓」なども各地に見られた。
 その凄さは、大きさは無論のことだが、むしろお墓が家族や個人のためのものではなく「門中」と呼ばれる大きなファミリーで使われる、ということである。
 大規模なお墓は、それなりに修理も必要になってくる。修理はたいてい閏年に行なわれるというのだが、その際にはファミリーから寄付者の名前や金額まで、石に彫られていたりする。なかには明らかに西洋的な名前もあり、歴史的なファミリーの婚姻による広がりを感じさせる。沖縄や本土の人など、姓の種類は二、三十種類にも及ぶことが多い。
 嫁がなかった女性や七歳以下の子供が亡くなった場合、しばらくは敷地の片隅に祀り、その後誰かが亡くなったときに合葬という形で祠の中に入れるという。これもファミリーの広がり、繋がりを大切に考えるゆえだろうか。
 那覇のやむちん(焼き物)通りには、カラフルで大きな骨壺も売られている。八十歳以上で亡くなると「天寿」とされ、孫が骨壺を買ってプレゼントする習慣が今も残っているらしい。
 昭和二十七年までは、洞の中に一旦安置してあった遺体を洗って骨だけにして骨壺に納める沖縄独特の「洗骨」の習慣にもあったようだが、今は殆ど火葬である。三十二回忌になると立派な骨壺を空け、祠の中の土に還すのだが、その際には多くのファミリーが集い、豚の顔と尻尾(むろん一頭丸ごとでもいい)を供え、お祝いの飲食をする。お骨も入れっぱなしではなく、後々までケアされるところがまた凄い。そして年忌供養だけでなく、沖縄には年に何度もお墓で飲食する機会があるのである。
 こうして培われるのは、おそらく「門中」の塒に「還る」という感覚ではないだろうか。日本人全体が、「浄土」よりも「天国」よりも「あの世」という言葉を多用するのは、懐かしい「あの」世に還る気分だと思うが、最近の本土の墓地は個人や家族だけの場所が多くなり、お墓も懐かしいという場所ではなくなりつつある。
 そういえば「うちなーぐち」(沖縄弁)には、本土の「行ってきます」にあたる言葉がないらしい。代用される「んじちゃーびら」は、必ず戻ってくることを前提にした、全く違う挨拶なのだ。
 沖縄が出生率第一位を四十年間維持していることは、もしかしたらこの門中の結束、死の扱われ方にも関係しているのだろうか。
 本土のお墓だって少なくとも二、三家族で守るしかない時代に突入している。沖縄はいつか懐かしく、また刺激的な未来でもある。
   

 
東京新聞 2015年3月7日/中日新聞 2015年3月21日【生活面】 
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