日本語にはオノマトペ、つまり擬音語・擬態語などが五千もあり、世界的にも珍しい言語らしい。たとえば近頃の私の気分も、気鬱や諦念などの漢語では表しきれず、「うんざり」としか言いようがない。
 TPPという秘密交渉の、結果の全貌さえまだ多くの国民は知らされていない。フランス国旗に従えば、「平等」を旨とすべき政治が、わざわざ勝ち組を作って応援しようとする。多くの農家に打撃があるのは必至だが、補助金を増やすからどんどん土地を貸し、大規模農家を増やせというのである。
 農家の味方かと思っていたJAのスーパーも、すでに外国産の廉い肉を並べて売っている。組合員の利益よりもJA自体の保全に必死な姿に、アグリなだけに「あんぐり」せざるを得ない。断固反対を唱えてきたかつてのあの力瘤はどこに消えたのか。
 遡れば特定秘密保護法も、安全法案の強引な決め方も、オリンピックのエンブレム騒ぎやその行く末も、「げんなり」する。
 マイナンバーなど、もうまもなく届くというのに、鬱陶しいだけで嬉しくもない。だいたい職業的にハッキングしたりウイルス遊びに耽る人間がこれほどいるなかで、なにゆえわざわざ国民の「情報」を危険にさらすのか。盗みやすいように風呂敷に包み、スクランブル交差点に置くようなものではないか。こんな危険を冒してまで求める「便利さ」とはいったい何なのかと、「ぐったり」する。
 怒りを通り越し、気鬱ほどエネルギーは溜まらず、しかし諦念ほどすっきりしてはいない。やはり「うんざり」「あんぐり」「げんなり」「ぐったり」である。
 福島県民にとって今、それでも一縷の希望を託すのは、福島第二原発の廃炉決定である。政府は明らかに第二は再稼働しようとしている。オリンピックのためにも第二だけは何とかしたいのだ。視察後すぐに廃炉を宣言した小渕経産大臣が、奇妙な引退劇に追い込まれたのはまだご記憶のはずである。
 しかし福島県民が第二の再稼働を許すなら、あの震災を経てもこの国に何ら重大な変化は起こらなかったことになる。「結局は経済」「やはり便利さ」という、度しがたい亡者になるのだろう。全国の休止中の原発の再稼働にも、歯止めがなくなるのではないか。
 まもなく県議会議員の選挙だが、特に自民党所属あるいは推薦の候補者の考え方に注目したい。沖縄のように、党本部の考え方と捻れが生ずるのは避けられないはずだが、どの程度捻れるのか。もし捻れなかったらと思い、その場合を表現するオノマトペを探そうとするのだが、さすがの日本語でも思い当たらない。
 今度の選挙では是非、県内の減らない自殺者たちも思いを勘案して投票してほしい。津波死者、原発関連自殺者たちは何を願っているのか、「つらつら」考えてほしいのである。

  
 
福島民報 2015年 11月1日 日曜論壇