交遊抄 我が老師


 吉川英治は「会う人みな我が師なり」という意味のことを云ったらしい。しかし私にとって師といえば、やはり天龍寺の平田精耕老師だ。深い交遊について書くようにとのご依頼だし、果たして老師とのことを「交遊」と呼んでいいかどうかは疑問だが、とにかく人として最も「深い」ご指導をいただいた方だと思っている。
 問答の場では叩かれもしたし、怒鳴られたこともある。雲水時代は本当に怖いと感じていた。一等優秀な弟子はその思いも強いため、師匠にはある種の憎しみさえ抱くものらしい。しかし私の場合、どうしても「親愛」めいた愛情で憶いだす。やはり三等の弟子だったということだろう。
 不立文字の禅宗ではあるが、芥川賞をいただいたときには思わず報告してしまった。そしてお祝いにいただいた墨蹟には、老師そっくりの達磨の上に「無一物中無尽蔵 花有り月有り楼台有り」と書かれていた。無心であればこそ全てがよく見え、無限な展開があるということだ。ああ、小説を書くことを認めてくださったと思い、嬉しかった。
 老師がじつは小説好きだと知ったのは、それから随分経ってからだった。今は病床にある老師のご快癒を、遥かに念ずるこの頃である。

日本経済新聞 2006年5月16日/朝刊:文化面
平田精耕老師[ヒラタセイコウ]  臨済宗天龍寺派管長
諱は祖翁。撥雲軒、集瑞軒と号す。大正13年、京都に生まれる。昭和8年、天龍寺塔頭松巌寺平田滴禅につき得度。京都大学文学部哲学科にて本田義英文学博士に就きインド哲学、久松真一文学博士に就き仏教学を学ぶ。昭和25年天龍寺僧堂に掛錫、関牧翁老師に師事参禅す。昭和36年、フンボルト留学生としてベルリン自由大学及びハイデルベルク大学に学ぶ。昭和38年帰国。同年4月より花園大学助教授就任、「禅学概論」を講ず。同46年、天龍僧堂師家に就任。同55年、財団法人禅文化研究所理事長、所長を歴任。平成3年2月、牧翁老師遷化により天龍寺住職、天龍寺派管長に就任、現在に至る。自坊は天龍寺塔頭松巌寺。

著書に『禅からの発想-自由自在に生きる−』(禅文化研究所)、『雪月花つれづれ』(禅文化研究所)他。