この度、東日本大震災の復興構想会議メンバーになった。それでなくとも組織が多すぎ、指揮系統が複雑でよく分からないのだが、ともかく発言の場は与えられる。微力を尽くしたいと思っている。
 今回の震災では、あまりにも未経験のことばかり一遍に押し寄せている。原発危機はむろんのことだが、それに伴い故郷を離れて分散居住する人々、学校の放射線量の問題、また今後は大量の家畜の移動なども問題になるだろう。いずれもこの国がかつて経験したことのない問題ではないか。なにが問題といって一番問題なのは、それら未経験の重大問題について、当事者である地元の人々の意向を()み取るシステムが今なお構築できないことだろう。
 国は専門家を呼び、どこかの会議で検討して決定し、地元の人々に告げる。しかし実情についての把握の甘さから、修正を繰り返している。どうして初めから被災者自身の声を聞き、被災者本位に進められないのだろう。少なくとも復興構想会議は第一義に「被災者本位」を(うた)っている。ならば地元を離れられない自治体の首長を含め、被災地で開催すべきだろう。被災地のこの空気を一緒に吸って考えてほしいと思う。
 それにしても今回の災害の後処理は、急ぎの決断と長期的な対処が次々に求められるから難しい。私自身の提案も拙速に過ぎたと反省する点がある。
 避難民の雇用創出や周辺地区の農業復興も鑑み、私は早速にもヒマワリや菜種の種を播き、土中セシウムの吸い上げを図ろうと提案した。二十三日夜のNHKスペシャルでも申し上げたから、ご存じの方もいるだろうと思う。しかしこれが早計だった。
 チェルノブイリの事故以後、二十年も放置された土地であればこそ「ナロジチ菜の花プロジェクト」は有効だった。すでにセシウム137は地表から二十センチほど沈み、ストロンチウム90は四十センチも沈んでいたからである。しかし今の福島県内の放射性物質は、まだ表土から一〜二センチの所にあるらしい。表土を剥ぎ、あるいは生えてきた雑草を抜くと、ほとんど取り除かれるというのである。
 郡山市では二十七日、学校の校庭の表土を削り取った。それ自体は英断だと原子核物理学者も言う。しかし問題は削り取った土や抜いた雑草をどこに処分するか、である。校庭や畑の一角に置くのはシートが(かぶ)せてあっても絶対避けるべきだと忠告された。集積された放射性物質は密度が増して線量も格段に増え、近づいた人間の被曝(ひばく)率もぐっと高まるらしい。
 政府が基準を作るまでの期間でも、どこか遠くの荒れ地にそれと分かるように置き、ビニールシートで雨による流出を防ぐべきだと、注意を受けた。急がなくてはならないが、拙速ではかえって危険だ。どうやらヒマワリ以前に、急げど慌てずすべきことがありそうだ。


福島民報 2011年 5月1日 日曜論壇