四月から、政府の復興構想会議のメンバーをお受けすることになった。こういうことになると、じつにさまざまな方々からご連絡がある。手紙やメールで資料を送ってくださる方、また「これは使えないか」と、放射線の防護や除染についてのアイデアや現物が届けられることもある。そのたびに、農林水産省に転送して調べてもらったり、県のほうに連絡したり、忙しいけれど(うれ)しいアプローチである。
 しかしそうした好意的な働きかけに交じって、時に嫌な電話が来ることもある。露出すれば、ある程度は仕方ないこととは思っているが、ちょっと忘れにくい電話があったので、書いておきたい。
 当然のことだが、どこのどなたか名乗らない。一人は女性、一人は男性だが、共に七十歳以上ではなかっただろうか。たまたま一日違いの電話で、しかも言うことが似ていたのである。
 「あなたは中国文学科だったらしいが、いったい原子力について、何ほどのことを知ってるのか」これがお(じい)さんのほう。お(ばあ)さんは、もっときつかった。「なにか専門的な知識が、あるんですか。今からでも辞退したほうが、文学者としてまともではないか」だいたいそんな趣旨のことを、もっと口汚くおっしゃった。
 いろんな考え方がある。しかしこれだけ考え方が違うと、言い返す糸口さえ見つからない。原子力についての専門家が、会議には誰も入っていないことも、自分は福島県民としての思いを代弁したいということも、何も言えずただなぶられるように言葉を浴びるしかなかった。
 どうやら専門家という存在が、必ず何らかの組織に属し、利害と制約をもった存在であることも気にしていないようだった。
 僧侶が供養の専門家であり、作家が思考や言葉の専門家だなどと言うつもりはない。そうではなく、なんの専門家にもなるまい、と歩みつづけた結果が、今の私のような気がしたのである。
 そう考えると、彼らの言い分も間違いではない。たしかに防災学や経済学、町づくりや民俗学など、それぞれ専門の視点から見えてくる有用なビジョンは多いことだろう。
 しかし今、復興に際して、あるいは原発事故の後処理において、なにが最も大切なのかと考えると、逃げまどい、家族を(うしな)い、避難生活を強いられる人々の視点ではないか。
 それなら自分の専門だと誰かが言うなら、それも自家撞着(どうちやく)になる。どの専門にも引き寄せず、つまりアテガイブチの物差しを使わず、しかもどんな組織にも気を(つか)わずにモノが言えること。それこそが復旧・復興構想の基本ではないか。
 いわゆる専門家に任せておいた結果があの福島第1原発の事故とその後だということを、忘れてはならない。

 
     
産経新聞 2011年6月12日 【読書面】