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昔から空は人間にとって不思議な場所だった。
たとえば雲も、中国人は初め山腹から出てくると考え、その穴を岫(しゅう)と呼んだ。しかしそれも変だと、龍という生き物を創造した。龍の動いた跡が雲になると考えたのである。竜巻も雷もその動きのバラエティーとして納得できた。虹というのも、じつは龍に似た生き物だと思い、虫扁の字になったのである。
原理が分かったあとでも、虹は不思議な気分にさせてくれる。虹の根元あたりまで行ってみたいと思うのは子供ばかりではないだろうし、二重の虹を見たりすると、その色が反転しているという知的興味も湧くが、なにより、訳もなく嬉しい。だから三百六十度の虹を見たときの驚きは、ほとんど奇跡に遭遇した気分だった。
なるほど空の上でなら、ありうることなのだと、頭では納得できる。湿気をおびた上空を飛ぶ私の背後に、太陽は輝いていた。初め半円分に気づき、それから下半分にも気づいたのだが、それは多分に先入観のせいもあったのだろう。とにかく私は仏像の光背を想い、この世ならぬ美しさになにか厳粛な気分になっていた。
それは国際姉妹都市連盟からの派遣で、チェコ共和国のヴォランティアの実状を調べてくるという旅の帰途だった。当時ビロード革命から六年目だったチェコの生活はまだまだ貧しく、私が訪れたジャンベルクという小さな町では、共産主義時代の作業服を着た労働者の姿も残っていた。完全無血革命を成し遂げた国民はさすがにユーモアに富んでしかも忍耐強く、音楽を愛する陽気さがそれと相俟って、なんとも魅力的な人々が多かった。しかしヴォランティアに関しては、いったい何を報告すべきか私は迷っていたのである。
ラテン語のヴォランタス、つまり「自由意志」がヴォランティアの語源であることはよく知られている。しかし瞑想中の音楽形式であるヴォランタリーも、やはりある種の起源である。瞑想中はオルガン奏者も演奏を止めることになっているのに、ある奏者が、瞑想を促すはずだと無断で弾きだしたのが気に入られて定着したという。つまり、余計なことと思われて始めるのがヴォランティアではないか、誉められすぎてはいけないのではないか、私はそんなことを思いながらも自信がもてない気分だった。
虹の円を見て、私は山の上の教会で修道女が聴かせてくれた讃美歌を憶(おも)いだしていた。そこは革命前には大勢の僧侶たちを幽閉する刑務所になっていたが、いまは三十人余りの女性が修行している。代表者である彼女は私の希望に応えて清らかな声で歌ってくれたのだった。それがヴォランタリーだったわけではない。しかし私は彼女の声と姿に、清らかで豊かな、本源的ヴォランタスと奉仕によって磨かれた何ものかを感じとっていた。それがまるで、円(まど)かな虹のようだと、憶いだされたのである。
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