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レオ・レオーニといえば、日本語版では『あおくんときいろちゃん』や『いろいろ1ねん』などで知られる絵本作家である。また画家、彫刻家、そしてグラフィック・デザイナーでもある。
しかし私にとっては、最初に出逢ったのがこの『平行植物』であったせいで、彼はなにより現実というものの幻想性・虚構性を教えてくれた思想家であった。
この本では、まるで老植物学者がこれまでの長年の研究成果を丹念に披瀝するかのように、「植物学の歴史」から説き起こされる。ところがこれは、じつに学術的な体裁で描かれるフィクションなのである。
読み進めていくうちに、そうか、植物学はもちろん、医学も哲学も、いや、あらゆる学問とはフィクションだったのだ、と気づく。いやいや、それどころか、我々が「現実」と呼んでいるものだって、ある一定の認識の枠組に則って捕捉されている以上、一種の虚構ではないか。
狂おしいまでに丁寧に詳細に述べられるフィクションは、ただ有ることに安住する現実よりも、遥かに強力なリアリティを発している。私はこの本を読むたびに、人間にとって虚構性というものがいかに根深く侵食し、不可欠になっているかを思い知る。
グンバイジュやマネモネ、メデタシやタダノトッキなどは、すでに私のなかに植物学上の歴史まで含めて息づいている。こんなふうに私の描く小説のなかの人々も、リアルに息づいてくれないかといつも夢みてしまうのである。
ある意味でこの本は、人間の認識方法についてのデザイン・ブックなのかもしれない。現実は、その認識方法を超えて決して現れない。だから諦めるというのではなく、だからこそこの本から勇気をいただくのである。
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