其の拾七  
     
   このところ、岐阜県にお邪魔する機会が多かった。ひと月ほどの間に三度だから、かなりの頻度である。
 大興寺さんというお寺での法要と講演、正眼寺夏期講座での講演。その間には岐阜市長さんや中日新聞の小出社長さんとの鼎談もあり、さらに三度のうち二度まで我が三春町の物産展を開いてくださった。本当にありがたいことである。
 岐阜といえば、鵜飼いも有名だが、提灯や蛇の傘もよく知られている。そういえば街なかでも、大きな蛇の目傘の看板を見かけた。
 この模様はいったい何か、と思ってきると、まずどうしても浮かんできたのは禅寺の和尚が描く「一圓相」である。
 一圓相にはさまざまな意味が付与されているが、なにより圓という造形には、一瞬の停滞もない。圓そのものが制約ではあるものの、描線は一切の惰性を許さず、活発で自由な創造の連続がたまたま圓になるのだ。岐阜県は、臨済王国と呼ばれるほど、臨済宗のお寺が多いから、きっとどこかの和尚さんが傘に圓相を描き、それが蛇の目と呼ばれるようになったのではないか。
 しかしなにゆえ蛇の目なのか。蛇は古来、大地の神の化身とされる。特に狩猟民族においては、非常に位の高い神として崇められた動物である。これは想像だが、おそらく諏訪大社のように、農耕民族と狩猟民族が出会った際、和合してゆくにはお互いの神を尊重することがまず何より大切になる。蛇の目は、狩猟生活への配慮も忘れないようにという、厳しい眼差しではなかろうか。
 狩猟採集生活をしているあいだ、我々の先祖たちに殺人は起こらなかったらしい。そうした悪意は、米を蓄積する高床式の倉庫ができ、人間に財産というものができてから発生したのである。
 人間の生活はそれから驚くほどに変化し、家どころか土地や海まで所有するようになり、犯罪もどんどん悪質化していった気がする。
 私は子供だった頃、未来の人間は傘などという厄介なものは使っていないだろうとよく夢想した。鉄腕アトム世代だから、ボタン一つで大きな空が閉じ、個人が傘をもつ必要などなくなる気がしたのである。
 しかし賢明な人間たちは、そうはしなかった。傘はじつに昔どおり、機能と風情とを遺憾なく発揮しつづけている。
 「核の傘の下の平和」という言葉もよく使われたが、あれも今となっては、子供の頃の夢想のように虚しい。
 広島、長崎の体験を知ったうえで、なおも核を使おうとすれば、それは悪魔の所業である。けっして使わないというなら、空を覆うような危険な傘などもう要らないではないか。持ってしまえば使いたくなる愚かな人情を、蛇の目は涼しげに見つめつづけている。

 
東京新聞 2013年8月3日/中日新聞 2013年8月17日【生活面】 
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