禅寺の庭に、つつじは不可欠だと思う。うちの寺の場合、池の周囲にもあるが、山門から本堂へ通じる石畳の両側にも生け垣のように並んでいる。五月になると、琉球ツツジの白い花がじつに凛々しく咲き揃うのである。
 僧堂に居たときもそうだが、大抵つつじなどの灌木は自分たちで剪定する。剪定の際、先輩から注意されたのが、一般の庭と違って直線で構成するように、ということだった。
 水平面でも垂直面でも、中央をすこし凹ませ加減するとすっきりした直線に見える。角もきりりと立たせ、不自然なほどの直線で囲むのである。すると、植物の自然を無視したやり方ではあるものの、じつに禅寺らしい厳粛な風情が出来上がる。一斉に白い花が咲くと、本当に心が浄化される気がするのである。
 ところが今年、つつじの花が寂しいほど疎らにしか咲かなかった。
 どうしたことかと不審に思ったものの、去年の剪定期間が遅すぎたのかもしれないと、さほど心配せずにいた。そういえば去年は、明らかにまだ福島第一原発からの放射性物質が降り注いでいたし、しばらく手がつけられなかったのだ。
 しかしそうこうするうちに、私は他の仕事のいかまけ、いつしか女房が檀家さんと草刈りなどの打ち合わせを進めていたらしい。気がつくと、山門から並んだつつじが丸裸になっているではないか。
 丸裸とは、要するに殆どの葉がなくなり、主だった太い枝だけ、虚しく空中に林立していたのである。
「え」
 あまりの驚きで、私は作務着姿の副住職を前に絶句した。そしてほぼ十秒ほど経ってから、かろうじて訊いたのである。
「これ、ど、どうしたの?」
 すると副住職は、自分も驚いたような顔になり、ある檀家さんの名前を告げた。その人の指示で、大胆に切ったところなどだという。
 おそらく副住職にとっても、それは理解しがたい事態だったに違いない。禅寺では何十年もかけてつつじの形を作るから、「花付きが悪い」程度の理由で、ここまでの形を壊すことは考えられなかったはずである。
 私自身も、大雪で折れた池之端のつつじを、植木屋さんが大胆に切り込むのを手伝ったことがある。その当時は植木屋さんと一緒に庭の仕事をしていたから、手伝いながらワケを訊いてみた。
「命を更新するっていうか、全体を若返らせるんですね」
 たしかそんなふうな答えだったと思う。
 なるほど山門から続くこのつつじも、いずれ新芽をわさわさ出し、風通しもよくなって元気に甦るのだろうとは思う。
 しかしせっかく長年苦労して作りあげたあのランはどうしてくれるのか。これこそ禅寺風情と自画自賛していた生け垣もなくなってしまったのではないか……。私は副住職を前にして佇んだまま、ただ呆然と裸の枝に見入っていたのである。

 もともと禅寺の規矩を最初に作ったのは、中国の百丈山に住んでいた百丈懐海禅師である。
 百丈禅師の思惑は知らないが、ある程度の決まりを作ることで、迷いなく動けるようにしたのではないかと思う。お茶の世界もそうだが、一つの型を決め、それを繰り返して身につけ、習熟することで無意識の動きが増えていく。瞬時に、しかも無意識にする行為は、美しいのである。
 むろん、私はつつじの刈り込み方を、百丈禅師が決めたなんて思っちゃいない。
 そうではなく、辻斬りに遭ったようなつつじを見ていたら、「規矩」という言葉を憶いだし、そこから百丈禅師に連想が繋がったのである。
 規矩とは、本来丸を描く「規」(ぶんまわし)という道具と、直線を引くたもの「矩」(さしがね)のことである。おそらく禅寺のつつじの刈り込み方も、この丸(規)と四角(矩)とが基本ではないだろうか。
 しかし考えてみればこの言葉(規矩)、『荘子』などには「縄墨」と同様、あまりよい意味では出てこない。人を窮屈に縛る不自然なものとして批判されるのが、普通である。そこまで思うと、何が禅寺らしいのかも判然としなくなる。命が更新され、活発になるというなら、この裸木だって自由でいいではないか。瞬時にそんなことを思い、私はようやく階段を上がって玄関に向かったのである。

 玄関から茶の間に入り、縁側のほうを眺めていたら、私はふいに「あれは除染になるのか」と思った。
 なんだか情けないような話だが、私はあまりの驚きを収めて心を鎮めるために、無意識に大胆な剪定を納得する方途を捜していたのだと思う。あれは剪定というより、伐採じゃないか……。内心そう感じている心が、その正当な理由を求めていたのだろう。
 正直なところ、私はこの辺りの放射線量に,さほど不安は感じてはいない。境内では毎時0.三マイクロシーベルト、本堂内では0.一五マイクロシーベルトほどだが、じつはこの程度の線量は、ガイガーカウンターを持ってあちこち講演に出かけていると、しょっちゅう見かける数字なのである。

 それからしばらくして、私はたまたま縁があって永いことブータンに在住していた日本人に会った。
 ブータンに三春町の滝桜の苗を植える計画があり、お出でになったのである。
 あれこれ話すうちに、彼がブータンでの驚いた体験を披露した。
 日本人の集団が訪れたとき、向こうの人々が歓迎会を開いてくださり、その場で日本人達がお土産を手渡したらしいのだが、その中にブータン人を戦慄させるものがあり、一瞬にしてその場の空気が凍りついた、というのである。
「いったい何を持っていったんですか?」
 私は素直に訊いた。
 すると彼は、あらためて眉をしかめながら「単なる剪定バサミですよ」と答えた。
 彼の解説によれば、仏教国ブータンでは、木の枝葉を切るなどという蛮行は一切行なわれないというのだった。
 私は深く唸り、両腕を組みながらそれはそれで仏教だろうと納得はした。「仏教は木を伐らない」という言葉も聞いたことがある。
 しかしブータンでの事情には納得しながらも、私はあまりに違う日本の自然を見渡さずにいられなかった。
 タケノコ獲りやタケノコ倒しは終わったが、これから梅や梅もどき、ボケや柘植なども剪定しなくてはならない。この国の自然では、放っておいたら鬱蒼とする木々ばかりがあまりにも多い。おそらく日本では、「木を伐らない」ことはなんとか可能でも。「枝葉も切らない」ことは不可能ではないか。
 『万葉集』や『古事記』で最も多様される言葉は「()る」だというが、信じられない変化こそ、日本の自然の特徴ではないだろうか。植えてもいない木がこれほど生えてくる国も少ないだろうと思う。
 思えば草引きや庭掃きなども、日本人には特徴的な習慣である。現在、戸外を箒で掃く習慣を残しているのは、日本人とロマ民族くらいだと聞いたことがある。

 仏教は、世界規模に広がるうちに、「郷に入っては郷に従い」つつじつにさまざまに変化した。
 木を伐るかどうか、これはじつに大きい問題だが、それからすると、枝葉をどの程度切るかさほど大きな問題ではなさそうだ。
 それまで規矩どおり剪定していたものが丸裸にされたからといって、目くじら立ててはいけないのだろう。
 外に出て山門近くまで行って眺めてみると、すでに裸木からは新しい葉が噴きだすように生えている。
 私は苦笑いしながら、つつじが久しぶりに自由を満喫しているように感じた。むろん、こんな感情は、たぶんブータン国民には理解されるはずもない。そのくらいのことは承知している。


 
「寺族春秋」 2012年7月号