日曜論壇 目次
-------------------------------
第60回 翁忌に思う
第59回 屋根裏地獄
第58回 ヒューマン・エラー
第57回 「中間」貯蔵施設の行方
第56回 恵方巻き
第55回 「見識」から「厳罰」へ
第54回 オリンピックと原発
第53回 徳島にて
第52回 「マイナンバー」要らない!!
第51回 春が来た!
第50回 高橋亨平先生の思い
第49回 仮設のSさん
第48回 全国の線量調査結果
第47回 教育委員会という「飾り」
第46回 こどもの日の祈り
第45回 悲しみの底
第44回 ダルマの一文字
第43回 原発とTPP
第42回 「裸の王様」と、次の王様
第41回 人牛同病
第40回 急げど慌てず
第39回 大人と子供
第38回 計画病
第37回 「情報」という名の幽霊
第36回 死ねる病院はどこ?
第35回 墓地共用のすすめ
第34回 花散らぬ、嵐
第33回 七転び八起き
第32回 まもなくクランク・アップ
第31回 新作『阿修羅』のこと
第30回 さまざまな立場
第29回 生物多様性と多文化共生
第28回 団子と頭痛
第27回 さまざまな正月
第26回 金風
第25回 お寺のゴミ問題
第24回 私は裁きません!
第23回 なんのための改名か!
第22回 新しい郵便局にお願い
第21回 未然防止策?
第20回 奈落の月
第19回 ちょっと待って!
第18回 若冲展に思う
第17回 嗜好品という文化
第16回 約束
第15回 母から子への手紙
第14回 無鉄砲と、鉄砲
第13回 「小学校英語」必修化に反対!
第12回 木瓜と認知症
第11回 「満」と数え年
第10回 いくつもの春
第9回 ネコとヒトの教育
第8回 電話の電話、郵便の郵便
第7回 同期の不思議
第6回 御朱印コレクション
第5回 自燈明
第4回 帰りなん、いざ!
第3回 ウォーキング・サピエンス
第2回 形而上的おぼん
第1回 タケノコ狩りと自立
-------------------------------
「翁忌」とうのをご存じだろうか。旧暦の十月十二日のことで、松尾芭蕉の命日である。現在の暦ではすでに過ぎたけれど、旧暦で言うならこれからだ。
「翁」と呼ばれる人は、この国では神に近い存在として尊ばれている。現代人といえる範疇では、鈴木大拙翁、そして百二十歳まで生きた徳之島の泉重千代さんなどに「翁」が使われるが、他にも各地に「翁」と呼ばれる先人はいるはずである。
翁の起源は芭蕉よりも更に古く、『今昔物語』には神が翁の姿で現れる記述がある。また「春日権現験記絵巻」には実際にその姿が描かれてもいる。
翁とは、単に高齢というだけの存在ではない。
金春禅竹
(
こんぱるぜんちく
)
の能楽理論書『宿明集』によれば、人間の目には無意識(無心)の状態でのみ見ることができ、意識して見ようとすれば見えなくなる、とある。まるでメーテルリンクの「青い鳥」のようだ。探し求めているうちは出逢えないのである。
芭蕉は、幻住派といわれる禅の仏頂牡和尚に参禅して仏法の極意を問われ、「蛙とびこむ水の音」と答えて認められたと云う。後に「古池や」と頭につけて句を完成させ、新境地を拓いたとされるが、ここにこそ「翁」の風格を見ることができる。
この句ばかりでなく、芭蕉は寂滅の境地における無心の命の躍動を生涯かけて描きつづけたのではないだろうか。
老いれば人はじつにさまざまなものを喪失する。肌の張りも視力も聴力も、あるいは知識や友人だって次第に失っていく。しかし同時に、それは矢鱈な分別や欲望の消失、無心の涵養でもある。全てを喪失したあとの清明な無心の境地を、芭蕉は「古池や」の一言で表し、そこに躍動する無意識の生命力を、「蛙とびこむ水の音」と表現したのではないだろうか。翁の願いは心の寂滅と命の躍動に尽きるのである。
昔から日本人は、さまざまな喪失を単に悲しむのではなく、「わび」「さび」あるいは「かるみ」などと美学に反転させてきた。それは喪失を素直に認めつつ、しかも無心のうちに芽生える小さな命の躍動を愛でる境地である。
今のこの国には、あくまでも喪失に抗おうという力みばかりが目立つ。経済が右肩上がりを続けるという幻想も、アンチ・エイジングの発想と同根ではないだろうか。
よく見れば
薺
(
なずな
)
花咲く垣根かな
喪失前には目にもとめなかった小さな花に、思わず目が行く。未會有の原発事故による喪失後、我々がどう生きるのか、神になった芭蕉翁が見つめている。
福島民報 2014年 10月19日 日曜論壇