戦後のお寺の変化について語るなら、やはり何より日本社会の構造変化に触れないわけにはいかない。都市に人口が集中し、地方が過疎化していくなかで、限界集落などと呼ばれる地域も拡大しつつある。当然のことだが人はどこに住んでいようといつかは死ぬ。だから現在過疎化している地域にも充分以上のお寺があり、しかもそんな地域ではお寺生活が成り立たない。それゆえ住職のいない無住寺院が増え、現在約七万七千の伝統仏教寺院のうち、約二万カ寺が無住寺院なのである。
 全国の僧侶数が三十七万人余り(平成二十六年版、宗教年鑑、文化庁)であることに照らすと、これはどう見ても都市部への偏在とみるしなかない。しかも都市部での宗教意識が突出して大きく変化しているから、その変化がお寺全体の変化に見えてしまうのである。
 何より大きな都市部の変化とは、個人主義の進展と世の中の市場原理主義化であろう。死が共同体にとって重大事であった時代は遠のき、「直葬」や「家族葬」などの言葉が生まれた。またあたかも自分の後始末を自分でできるかの如く「終活」が盛んである。そして「お布施」という独特の経済システムが市場的には理解されないため、一部の寺院はそれを「対価」と見做し、自ら市場経済に乗っていこうとする。すでに葬祭業者は市場経済内部での利潤を追求する存在であるため、そこに雇われる僧侶まで現れている現状である。
 一方で、仏教そのものへの関心は、むしろ高まっているのではないだろうか。観光対象やパワースポットとしての寺院への興味ばかりでなく、寺院というパッケージの中身、つまり仏教の教えや「プチ修行」なども老若男女を集めている。テーラワーダ仏教(上座部仏教)の流入や瞑想ブームも大きな刺激になっている気がする。
 先日、吾が臨済宗の開祖である臨済禅師と白隠禅師の遠諱記念イベントが、なんと六本木ヒルズであった。私にも要請があり、瞑想講座を受け持ったのだが、他にも写経や坐禅体験、あるいは「お坊さんとの対話」みたいなコーナーもあり、いずこも大盛況だった。これなど仏教エッセンスの出前とも云える都市的現象である。つまり、このところの日本に特徴的なのは、仏教そのものがパッケージなしで街場に分け入っていく一方で、本来それと不可分だったはずのお寺やお墓が置き去りにされていることではないか。絶滅に瀕する尼寺や過疎地の寺、お墓が、無住になったり「墓じまい」されたりして寂れゆくなかで、仏教はまるでドイツ人に「優れた生理学だ」と思われたように、あくまで個人用のツールとして広まっている。
 芭蕉の「不易」「流行」を持ち出すまでもなく、これも時代による必要な変化なのかもしれないが、このままだと仏教の基盤である寺の存立が危うくなるのは間違いない。
 坊さん達の努力が足りない、と言うのは容易いが、事はそれほど単純ではない。これは地方の存続問題にも繋がるし、市場原理主義をこのまま進めるのか、という問題でもある。世の流れからワンクッション置いた場所が仏教の住処だったはずだが、今はそれが保てるかどうかの瀬戸際かもしれない。

 
     
「文藝春秋」2015年8月号