「キセノン」「テルル」「放射性銀」。我々の頭は未だに新たな知識を次々と求められている――。 | ||
三月十一日からちょうど8カ月が経過した十一月十一日に、主に福島大学を会場にして「ふくしま会議」が開かれた。 十一日には全体会があり、十二日には「若もの会議」の他、四つのテーマによる分科会が開かれた。「いのち:子供の今、そして未来」「放射能と向き合う」「自然・再生可能エネルギー」「市民活動の現場から」など、それぞれ重なりながらも分かれあう巨大なテーマである。 県内にいま起こっていることが各方面から報告され、また直前までウクライナやベラルーシを巡ってきた福島チェルノブイリ視察団による報告もなされた。会議の内容は、同時通訳によって英語でも世界に発信され、ツイッターやfacebookなどでの参加も可能にした。 三日目には会津、いわき、福島、南相馬などで「地域会」が同時多発的に行なわれた。要するに、これまで各地でばらばらに行なわれてきたさまざまな活動を、連携することで深め、問題意識を共有し、そしてまた各地に分散していったのである。 結論が出たわけではないけれど、少なくとも参加者たちは意識を深め、幾つもの分断を目の当たりにしつつ、逆にお互いの連携を深めたと言えるだろう。 全体会の冒頭の挨拶を、私は次のように始めた。 「福島は今、混迷のなかにあります。しかし同時にここは、世界最先端の地でもあります。 政府や東電に望むことは山ほどあります。しかしそれはそれとして、我々は自分の足で歩いていかなくてはなりません」 混迷と希望の交錯する最近の足取りを、今回もまたご報告したい。 最近の画期的な研究成果といえば、やはり東北大学加齢医学研究所の福本教授らのものだろう。福本教授ら研究グループは、警戒区域内の殺処分が了承された牛を26頭ほど捕獲し、それによって牛たちの内部被曝状況を調べた。その結果は十一月十三日、仙台で開かれた国立大学協会防災・日本再生シンポジウム「放射性物質と大学人の役割」で発表されたわけだが、まず目を引くのは、放射性セシウムの多くが筋肉に蓄積していたことだろう。血中濃度の20~30倍だった。 細かく言えば、たとえば血中濃度が1キログラム当たり60ベクレルの牛の場合、腿の筋肉の濃度は1800ベクレルだった。舌(タン)や肝臓(レバー)の場合はそれより低く血中濃度の10倍程度。甲状腺には、放射性セシウムはほとんど沈着していなかった。 胎児の場合は臓器によらず、それぞれ成牛の1.3倍の被曝量という結果だった。 その他、腎臓からは少量のテルル129mが、肝臓からは放射性銀110mが検出された。テルルの場合は26頭中検出されたのは5頭でしかも微量だが、肝臓の銀はすべての牛に見られ、しかも血中濃度の約25倍もあった。 放射性テルルや銀の内部被曝状況は、世界にもこれまで研究例がないらしい。研究グループは今後も調査を続け、特に膀胱の内部被曝の実態を詳しく分析する計画だという。セシウムは筋肉と膀胱に溜まりやすいと、以前から言われていたからである。 こうした研究から導かれるのは、むろん牛肉を食べるとき、レバーやタンのほうがフィレより安全だという話ではない。仔牛はなるべく避けようということでもない。何より人間の内部被曝状況が、血中濃度からだいたい類推できるのではないかと、福本教授は期待する。放射性セシウムや銀の、筋肉や肝臓への蓄積率はほぼ一定で、同じやり方が人間にも応用できる可能性があるということである。 それにしても、シンポジウムのタイトルにしても「放射性物質の拡散」とあるが、拡散しているのは放射性物質だけでなく、放射能に関わる問題の全体であるかのように思える。 思えば去年の今ごろはベクレルもシーベルトもcpmも知らなかった。 放射性物質についても、ヨウ素やセシウムばかり気にしていたら、ほどなくストロンチウムやプルトニウムまで問題になってきた。 そうこうするうちに、十一月になるとキセノンが2号機から発生し、あわや再臨界かと騒がれたが、翌日には再臨界ではなくて「自発的核分裂」だと訂正された。 いったい「自発的」などという用語がまともな科学用語として通用するのだろうか。文学的に読めば、どうしたってこれは「俺のせいじゃないよ、あいつが勝手に」という意味に読める。 ともあれこのキセノン、無色無臭だが、ウランやプルトニウムが核分裂する際に大量に出る。キセノン135の半減期が約9時間、キセノン133でも約5日と非常に短いが、1~3号機の爆発直後にも大量に出ていたことは間違いない。じつは三月十五日界隈にベラボーに高かった各地の放射線量は、モニタリング・ポストの故障ということで隠されたままだが、その構成要素の多くは希ガスのキセノンだったのである。 そんなふうに、我々の頭はどんどん新たな知識を求められ、未知なる事態へと拡散させられている。 そして今度は、微量にしても、テルルとか銀だという。驚く人も多いに違いない。正直なところ、私は放射性銀などというものがあることさえこれまで知らなかった。 今回検出された放射性銀は、Ag-110mと表記されるが、半減期は約250日。放射線を出して安定化するとカドミウムに変わる。 カドミウムといえば人体にとって毒だし、由々しきことだ。セシウムの少ないレバーを食べたら、やがて放射能ばかりかカドミウムでも汚染されるのだろうか。そこを突っ込んで考えるまえに、まずはこの事態を、社会的な拡散の側面から眺めておこう。 日本三大火祭りとも言われる須賀川の「松明あかし」が、十一月十二日に例年どおり行なわれた。この祭りには、大量の茅や竹、薪などが使われるのだが、地元産の茅から微量の放射性物質が検出され、そのため当初は開催じたいが危ぶまれた。しかしこの祭り、もともと戦いで亡くなった人々を慰霊するための行事だし、市は全国各地から材料の寄付を仰いで実施することを決意した。結果、北は秋田、西は山口県周防市まで全国二十三の個人・団体から現物の提供があり、なんとか開催にこぎつけたのである。 一方で、郡山市の開成山大神宮では、毎年一月六日午後から七日夜まで夜通し行なっている「どんど焼き」を、来年は一月七日の昼だけに縮小する。人々が持ち寄るお札やしめ縄などを燃やすわけだが、「地域に配慮」するのだそうだ。 ところでそのしめ縄など、正月飾りだが、例年は十一月から製造側は最盛期を迎える。しかしご承知のように、正月飾りの多くには稲藁を使うため、今年は製造を自粛する動きが相次いでいる。 白河・西郷広域シルバー人材センターでは、例年は50センチほどのミニ門松を八百個ほど製造販売するのだが、今年は取りやめたという。縁起物なのに、子供のいる家庭でトラブルの元になっては困る、そんな切ない理由からである。 喜多方のシルバー人材センターでは例年どおり作るらしいが、悪名を被ってしまった「稲藁」製品がどれだけ売れるのかは未知数である。放射性セシウムの土壌からの吸収率は、稲藁の場合、玄米の約4倍程度とされる。米には入らなかった地域でも、稲藁には少し出てしまう可能性がある。ともあれ今度の正月は、いつもどおりには迎えられそうにない。幾つものハードルを越えた挙げ句、ご褒美のお年玉さえもらえないかもしれないのである。 前回安全性を強調した今年の新米も、南のほうから高値が広がるなか、たとえば岩手県産の「ひとめぼれ」が60キロあたり一万四千円台なのに対し、本県産は約一万三千円である。風評被害がないとは言えない価格だし、十六日には福島の大波地区でキロあたり600ベクレルを超える放射性セシウムが検出された。ますます今後の全体的な値下がりが懸念される状況である。 そんななか、相変わらず県外避難者も増えつづけている。10月20日現在でも5万8千5人。山形県への1万2千人以上を筆頭に、新潟県、東京都への約6千3百人が続く。千人以上避難している県だけでも、埼玉県、栃木県、群馬県、北海道、宮城県、秋田県、千葉県、茨城県、神奈川県、静岡県などがある。沖縄にも528人避難している。 皆、除染を待ち望んでいるのは間違いないが、とにかく汚染土壌などの仮置き場の確保がネックになっている。本宮市の一部では、市が仮置き場を決めるのを待ちきれず、ご近所どうしが合意して仮置き場を決め、汚染土壌を運んだケースもある。当人どうしが納得すればいいだろうということだ。しかしそうした小分けのやり方なら引き受けても、町のもの全部と言われたら受けられる土地はない、という状況なのである。 県は町内会単位に除染費用として50万円の補助金を出している。それを利用して道具を購入し、除染活動を行なう地域も増えてきてはいるが、これも結局は移動場所のことで頭を悩ませている。特定避難勧奨地点(ホット・スポット)を抱える伊達市では、生活圏の全市除染を2年を目標にして加速させる計画だ。線量計1500個を町内会単位に配布し、市が主体になって専門家や家業に委託する一方、市民による除染活動も支援していくという。 しかしいずれにしても除染は一朝一夕に済むことではないため、子供の被曝が心配な親たちに配慮し、郡山市は東北最大規模の屋内複合施設を十二月二十三日にオープンさせる。郡山に本社のあるヨークベニマルと、東京の教育玩具の輸入・開発・販売会社「ポーネルンド」が協力するもので、施設の愛称も「PEPKids(ペップ・キッズ)Koriyama」とすでに決まっている。通常は屋外で楽しむことまで全て屋内で体験できるようにしようということで、約1900m2の室内には三輪車のサーキット・コース、ボールプール、アスレチック&ランニングコース他、国内最大規模の約70m2の砂場も設けられる。パズルやままごと遊び、乳幼児専用ゾーンも設け、15人ほどのスタッフを常時配備する。調理体験コーナーまで備え、しかも未就学児童・小学生とその保護者は無料で利用できる。私もどこかの子供を連れて行ってみたいくらいである。 こうして避難する人あり、除染する人あり、またそのハンディをカバーするような支援活動も盛んに行なわれるなか、静かに進行しているのが放射性物質そのものの拡散と濃縮である。 雨によっても粘土粒子と結びついた放射性セシウムは移動し、ある場所からは流れ、ある場所(低地や用水池、下水施設など)には溜まるわけだが、そのほかに生物界には食物連鎖という現象がある。 放射性セシウムを大量に浴びた草を食べた牛たちが内部被曝してしまったように、弱い者が強い者に食べられることで放射性物質が移行し、濃縮されていくのである。 東大農学部の名誉教授、森敏博士によると、飯舘村で捕獲してきたジョロウグモの軀から予想外に高い放射線銀Ag-110mが検出されたという。蜘蛛を捕獲した土壌における放射性セシウムと放射性銀の比率は2500:1、蜘蛛の胎内での両者の比率は2.6:1であったことから、濃縮率はなんと千倍にもなる。 森先生によれば、「クモは直接土を食べるかどうかわからないが、網にかかった蝶やアブやカナブンなどを食べて林の中の食物連鎖の上位に位し、放射性セシウムを濃縮しているのだろう」と考えて調べたらしい。結果的にはセシウムもさることながら、何と予想もしなかった放射性銀を発見してしまったのである。 牛の肝臓といい、ジョロウグモといい、この放射性銀はいったいどういうことなのか。 森先生も「昆虫が銀を高濃度濃縮するという知見はこれが世界で最初の発見」と書いているので、定見があるわけではないが、森先生は、生物は、銅の代わりに放射性銀を取り込んで体内での酸素の運び手に使っているのではないか、と考えている。 どういうことかというと、つまりこういうことだ。 軟体動物や節足動物などは、ほ乳類と違ってヘモグロビンではなくヘモシアニンを酸素の運び手にしている。ヘモグロビンはその酸素の運び手にしている。ヘモグロビンはその酸素との結合部位に鉄イオンを必要とするが、ヘモシアニンの場合は通常銅イオンを必要とするのだ。 銅(Cu)、銀(Ag)、さらに金(Au)は周期律表の上でも似ているので、血液が赤くないジョロウグモは銅の代わりに銀を使っているのではないか。そのため、放射性銀も積極的に蓄積されているのではないか。 それなら先ほどの、福本先生たちが見出した牛の肝臓の銀はどういうことだろう。牛の血は赤いし、酸素の運び手もヘモグロビンである。 哺乳動物の場合、銀が体に蓄積することは通常ないが、銅はあちこちに存在している。銅の臓器中濃度が一番高いのはやはり肝臓で、脳、心臓、腎臓などがそれに続く。これは銅を活性中心にもつ酵素のせいで、そうした酵素はSODなど20種類くらいある。そしてこの酵素の非常に多くが肝臓に凝集しているのである。 つまり、牛の肝臓に放射性銀が集まったのも、おそらく銅の代わりなのだ。 森先生はご自身のブログで、「すでに林内で放射能の生物凝縮が始まっている」と書かれている。 飯舘村だけでなく、森先生は福島市の渡利地区で捕獲したジョロウグモからも同様の結果を得た。再びクモを捕獲しようと出かけて行った飯舘村では、すでにクモはどこにもいなくなっていた。冬場のクモは、冬眠するのだろうか。 もしもそれらのクモを、ばくばく食べる生き物がいあたらどうなるだろう? 放射性銀はその生き物のなかで更に濃縮され、放射能も強まっていくことになる……。 案の定、といっては語弊があるが、県内のイノシシから暫定基準値を超える放射性セシウムが検出された。それはそうだろう。イノシシの好物をすべて知っているわけではないが、春先、三春でさえ出荷制限の出たタケノコが、彼らは大好きなはずだ。もしかしたらベラボーに線量の高いキノコも食べているかもしれない。政府は十一月九日、相双地区12市町村で捕獲したイノシシの摂取制限と出荷停止を指示した。十月末に相馬市で捕獲されたイノシシからキロあたり5720ベクレルの放射性セシウムが検出されたのである。 同じ九日、福島県は海面と内水面の魚介類58種類108点の検査結果を発表し、いわき市平藤間沖と広野町沖の6点で暫定基準値である500ベクレルを超えた魚類があったことを報告した。 食物連鎖による放射能の濃縮は、海のなかでも起こっていたのである。一応、基準値を超えた種類だけ申し上げておくと、コモンカスベ、シロメバル、マコガレイである。 気象庁気象研究所が十一月十六日に発表したところによれば、原発から飛散した放射性セシウムは四月までに70~80%が海に落ち、陸地に落ちたのは3割弱だという。海は広いといっても肉食の魚には高度に濃縮する恐れがあるので注意しなくてはならない。春先にはコウナゴやシラウオなどの放射性ヨウ素が問題になったが、今度はより大きな肉食魚などへの放射性セシウムの蓄積が怖いのである。 海の場合は魚を詳細に測定し、食べなければさほど問題にならないが、森林で濃縮される強い生き物たちは別な悩ましさをもっている。 たとえば福島県では、昨年度は三千五百人以上登録していた猟友会の会員が、今年は一気に千人以上減ってしまった。ちなみに一昨年度の狩猟の獲物は、イノシシ3219頭、ツキノワグマ103頭、キジ6593羽などだが、キジはともかく、これらの狩猟がなされると、イノシシやクマによる農作物への被害が懸念される。実際福島市郊外では、長いもやジャガイモの畑をイノシシに荒らされ、放射能とイノシシの板挟みに苦しむ農家も複数あるのである。 あまりお金に換算するのは好きじゃないが、一昨年度の鳥獣による農作物被害は、総額一億二千七百万円あまり。そのうちイノシシが最も多く、五千六百六十万円だった。 森の中の放射線量も不安だし、獲物のイノシシも食べられないとなれば、必要な駆徐も行なわれないことになるのである。 また宮沢賢治は怒るかもしれないが、クマの被害も侮れない。これから冬が近づくと、「なめとこ山」におとなしくしていてはくれず、食料を求めて里に出てくることも多くなるだろう。空気中の放射能ばかりでなく、放射能を凝縮したクマやイノシシにも怯える冬になりそうだ。 特に警戒区域内のイノシシたちにとっては、人間もおらず、大好きな草地も広がりつつある。あまりに住みやすい環境のために数が増え、四、五年後には分布が広がる可能性があると、宇都宮大農学部の小寺祐二特任助教は指摘している。 ああ、放射能に包まれた環境のなかで、食物連鎖の上位にあるイノシシ、クマ、ヒトが対峙する。もしかすると足許には、放射性銀入りの蜘蛛を食べたカエルなどが蹲っているかもしれない。いっそイノシシがカエルを食べ、クマがそのイノシシを食べるなどして、一つに集約されれば問題はシンプルだが、どうやら彼らに交渉はなさそうだ。独立自尊で放射能を濃縮したまま、それぞれに山野を駆けめぐっているようなのである。 先日、三春町の子どもたちの放射線量測定を支援する「三春実生プロジェクト第3回役員会があったのだが、その席で東北大学理学研究科の小池武志助教が話されたことが忘れられない。 小池氏は、以上のような放射性物質の拡散と濃縮も気がかりではあるが、今はもっと別な混乱のほうが気になっているという。 民間企業が放射線の廉い測定器をつくり、多くの人々が放射能を測定するようになったことは致し方ないにしても、それら廉価な器具では核種ごとの線量が分からないため、その測定結果のなかには必ずといっていいほど、今回の原発事故には関係ない放射線が混じっているというのである。 小池氏がそのことを重大視するようになったキッカケは、静岡のお茶の測定だった。三月二十一日あたりに飛散した放射性物質を調べてもらうため、送られてきた煎茶を測定してみると、気になっていた放射性セシウム134や137はそれぞれ100ベクレルあまりだったらしいのだが、ほかにダントツに高い値が測定された。放射性カリウム40が、なんと350ベクレルも入っていたのである。 カリウムは人体に必須のミネラルだし、我々の周囲のほとんどの食べ物に入っていると言ってもいい。しかもそのうちの0.0117%は、必ず半減期12億年の放射性カリウム40なのだ。 小池氏の認識では、最も含有量の多いのが乾燥昆布でキロ当たり約2000ベクレル、バナナも約40ベクレルあり、今回のお茶だけでなく、ほとんどの食べ物には元々入っているだろうと指摘する。実際、そうしたカリウムを必須栄養素として摂取している人間じたい、体重60キロの人で約4000ベクレルの放射線を発しているというのだ。 廉価な測定器だと核種が分からず、合計の線量しか出てこない。だから多くの場合、これまでは入っていながら気にしなかったものにまで、矢鱈に怯えている可能性が大きいというのである。 お茶屋さんのためにも申し上げておくが、茶葉の350ベクレルがそのままお湯の中に移行するわけではない。いやむしろ、驚くほど液体のお茶には移行しないと言ったほうが正しい。ただ、これらのことから思うのは、我々はこれまでも全く気にしないまま、じつに多くの放射性物質に囲まれて暮らし、あまつさえ美味しいと言って摂取もしてきたということである。 決して楽観視しようというわけではない。むしろ混迷と希望の交錯と言いながら、混迷ばかりを述べてきたようにさえ思える。しかし私はこの地に暮らす以上、悲観でも楽観でもなく、今のこの事態をただ冷静に見つめ、新たな研究成果を参照しつつ恐る恐る歩みを進めるしかないだろうと思う。 小池氏が会議のさなか、なにげなく呟いた。 「我々は今、エネルギーの高い光の中に住んでいるんです」 なるほどγ線も光も電磁波の一種だから、そういうことになる。要は、少し強まった光に、我々が慣れることができるかどうかなのだ。 長期的な低線量被曝が、大量の短期被曝よりも怖いという事実は、ICRPのPublication.111においても示されている。だからそう安易に考えることはできないのだが、とにかくこの件についてはまだまだ新たな研究や調査結果が出てくるはずである。 澄んだ夜空から銀色の月光が静かに降ってくる。姿を消したジョロウグモたちが、あちこちの葉陰で光っているように思える。気のせいなのかは分かっているのだが、人生の多くの時間が気のせいで哀楽を分かつのもまた確かなことだ。 |
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「新潮45」2012年1月号 | ||
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