日曜論壇 目次
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第34回 花散らぬ、嵐
第32回 まもなくクランク・アップ
第31回 新作『阿修羅』のこと
第30回 さまざまな立場
第29回 生物多様性と多文化共生
第28回 団子と頭痛
第27回 さまざまな正月
第26回 金風
第25回 お寺のゴミの問題
第24回 私は裁きません!
第23回 なんのための改名か!
第22回 新しい郵便局にお願い
第21回 未然防止策?
第20回 奈落の月
第19回 ちょっと待って!
第18回 若冲展に思う
第17回 嗜好品という文化
第16回 約束
第15回 母から子への手紙
第14回 無鉄砲と、鉄砲
第13回 「小学校英語」必修化に反対!
第12回 木瓜と認知症
第11回 「満」と数え年
第10回 いくつもの春
第9回 ネコとヒトの教育
第8回 電話の電話、郵便の郵便
第7回 同期の不思議
第6回 御朱印コレクション
第5回 自燈明
第4回 帰りなん、いざ!
第3回 ウォーキング・サピエンス
第2回 形而上的おぼん
第1回 タケノコ狩りと自立
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お盆とは、もともとは旧暦七月十五日の行事だった。
ということはつまり、お盆は必ず満月だったということだ。江戸時代になるとお盆は三日間に延長になるが、それでも必ず満月はつきものだったわけである。
その昔仏教が輸入されるまえ、日本の暦は満月から始められていたらしい。どうも日本人には、満月は特別な思いを誘うようなのだ。その名残が旧の一月十五日の小正月。また七月の十五日にはやはりお盆のような先祖まつりが行なわれていたと云われる。そこにちょうど、中国から「盂蘭盆」という仏教行事が伝わったのである。
満月を基準にした暦だった日本に仏教が伝わり、やがて推古天皇の十二年(六〇四年)、新月を基準にした太陰暦(旧暦)が中国から伝わる。以後満月から新月へ、基準が変わるわけだが、満月の行事として生き残ったのがお盆と涅槃会(お釈迦さまの命日)というわけだ。
しかし暦はやがて明治六年、新暦という太陽暦に改められる。この地方のお盆などは月遅れの新暦八月十五日近辺に行なわれるから月も満月とは限らない。暮らしの表面からは月への思いが消えたかに見える。しかし民族の血は、そんなことで簡単に消えはしないだろう。
日本人が初めて創造した「物語」は、『竹取物語』だった。ご存じかぐや姫のお話である。竹から生まれたかぐや姫はやがて月からの迎えが来てしまい、仲秋の名月の晩に月に帰ってしまう。月は昔から、身近な異界として存在したのだろう。しかし作者は、そこを憧れの場所として描くばかりでなく、人情の通じない世界としても描いている。もしかすると、月を死者の逝く場所と考えていたのだろうか。かぐや姫の故郷が「死者の国」では興ざめするかもしれないが、古来満月の晩に先祖祀りをしてきたというのはそういうことかもしれない。
竹といえば七夕祭も憶いだす。これはもともと中国から星祭として伝わったものだった。中国では竹を立てたりはしないらしい。しかし日本ではこれがお盆と結びつく。旧暦では、お盆の八日まえが七夕。月は上弦だから星も目立ちやすいのである。
よく短冊に願いごとを書いたりするが、あれは誰にお願いしているのだろう。星だ、と答える人も多いかもしれない。しかし、星を相手にどれだけ思いを深められるだろう。「死んだら星になる」という言い方もあるが、願う相手は、やはり死者ではないのか。日本の七夕で竹を立てるのは、先祖がお盆に間違いなくこの家に戻って来れるための目印だ、という説もある。
そういえば私の住む地方では、新盆の家で高灯籠というものを立てる習慣がある。たいてい枝おろしした杉とか檜を庭に立て、その上に夜でも見えるように灯籠をつける。最近はわざわざ電線を繋げて電球をセットしてあるのも見かける。月から先祖たちがやってくるなら、暗くて見えないだろうから、という配慮だろうか。
先祖さまが果たしてどこにいて、どこに戻っていくのか、私だってじつはわからない。しかし人情の織りなす行事のなかでは、来るときは馬に乗って一日も早くと急ぐからキュウリの馬を用意し、帰るときはのんびり帰るからナスの牛を用意する。まるでかぐや姫を迎えにきた車のようではないか。
ご先祖さまは我々の人情のなかに間違いなく生きていて、月はおそらく、その人情を引き出す力を持っているのだろう。しかし新暦ひと月おくれのお盆は、今年は新月だから殆んど月が見えない。なんとも今年は、お月さまに助けてもらえない、形而上的なお盆になりそうなのである。
福島民報 2004年8月8日号 日曜論壇