絵:サカモトセイジ   
     
   準語では「メンコ」と呼ぶようだが、私の住む福島県あたりでは、たいてい「パッタ」と呼んだ。どうしてあれほど夢中になったのか、自分でもよく分からないのだが、小学生の頃、毎日暗くなるまで近所の子達と遊んだことが憶いだされる。最近はまったく見ない光景なので、よけい不思議に思い返されるのである。
 メンコは「面子」と書く。小さなお面という意味らしいが、おそらくそれは丸形やカード型の紙の表に印刷された顔のせいだろう。たいていは浮世絵やテレビ番組の主人公などの顔が大きく描かれ、それが小さなお面のようだとの解釈だと思う。
 相手の「パッタ」の置かれた状況をよく観察し、その札の下に絵:サカモトセイジ勢いよく空気を送りこむように自分の札を叩きつける。「パッタ」と投げつけてうまくひっくり返ったら相手の札は自分のものにできる。これは子供にとって、たぶん身震いするほど昂奮してしまうことではなかっただろうか。
 取られれば辛いから、自分の札には蝋を塗って重くしたり、あるいは縁を折り曲げて相手の札が這入りにくいよう工夫した。
 たいていどの地方でも、「パッタ」と同じようにそれは投げつけた瞬間の劇的な擬音語で表現された。調べてみると、札幌では「パッチ」、津軽では「びだ」、いわき市では「ベッタ」、酒田市「ベッチ」、広く関西では「べったん」が多いが、浜田市では「ばっちん」、大分県では「パッチン」、沖縄では「パッチー」などと呼ばれていた。
 近所に一つ上の男の子がいて、その彼がひどく強かった。強いというより、ずるいと言いたいくらいなのだが、彼はいつも自分のやり方が禁じ手ではないことを強弁した。たとえば彼は、ちょっとした隙間を札の隅のほうに見つけると、そこに向って自分の札の角を思い切りぶつけた。うまくするとハラリと札が裏返り、彼は私の大好きな絵柄の札をまんまと手中に収めてしまうのである。
 言葉にならない呻き声や叫び声を出してみても、彼はクールに嗤い、「反則なんかしてねぇぞ」と落ち着き払って言うばかりだった。
 取られた札をどれほど大事に思っているか、相手にはきっと瞬時に伝わってしまうに違いない。察知した彼は、けっしてその札を使ってくれない。だから取り返すチャンスも巡ってこないまま、暗くなっても諦めきれず、夕食の時間を過ぎても挑み続けていたのである。
 遠くお寺のほうから、自分を呼ぶ声が聞こえたような気もする。しかし私は夢中だった。あれは何の絵柄だったか忘れたが、どうしても取られるわけにはいかない札が取られてしまった。焦れば焦るほど思いどおりの結果が出ず、次々に大切なパッタが取られていくのだった。
 そんなとき彼の家の中から「ご飯だぞ」と呼ぶ声がした。彼はそそくさと「じゃあまたな」と言って去ろうとした。しかし私は諦めきれず、彼と玄関の間に立ちはだかった。たぶん私は泣いていたと思う。愛着と言えば様にもなるが、要は物欲の権化になりきっていた。
 厄介な私をするりと躱して玄関に入った彼は、ガラス戸の内側から鍵をかけた。私はガラス戸にしがみつき「鬼!」「鬼!」と何度か叫んだ気がする。
 彼が亡くなったとの知らせに、まだ四十代だった私は心底驚いた。葬儀までの日々に、幼い頃の情景を憶いだしたのは無理もないことだったと思う。葬儀での一喝は私情に混じっていなかったと思うが、近頃はどうも自分こそ鬼だったように思えて仕方ないのである。

 
 
     
「詩とファンタジ-」2013夏漣号(かまくら春秋社)