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のれんに腕押しというと、こちらのアプローチに対してあまりに反応がなく、張り合いがないことを云う。しかし実際ののれんは、少しだけ反応があって、それが心地いい。
私のように頭を剃っていると、剃った翌日などはのれんの抵抗が大きすぎ、潜ろうとしてのれんを落としたこともある。腕では押せても、頭では押しにくいのである。
それにしても日本人の応用力というのは凄い。熱帯のイネやタバコを温帯に持ってきて栽培し、繊細な味を出したこともそうだが、のれんも、本来は中国語の「暖簾」という表記から判るように、寒風を防ぐための暖房設備だった。それが日本に渡ると、むしろ風を感じる装置に変わるのである。
そしてまた、柿渋という扱いにくい素材に、作り手たちは防水や防虫あるいは風合いを考慮して果敢に挑んできた。厚手の麻を柿渋で染めたこののれんは、ゆったりと変化していくことを楽しめるだろう。柿渋は、時間と共に渋みと味わいが増してくる。まるで人生のようではないか。
修行時代に被った網代笠にも、柿渋を自分で何度か塗ったものだった。
大橋庄司氏は、こののれんに柳に蛙を描いた。当然、そこには誰もが水を感じるはずである。
のれんに腕押ししてみると、この柳がゆれて蛙が後ずさる。水も一緒に動くのを感じる。それが夏には涼しさを運び、春や秋には生命の躍動と感じられるかもしれない。素朴な絵だから、さまざまな思いを載せ、のれんは風を通しつづけるだろう。
ゆっくりとした変化が楽しい。そう思う心には、いつしかゆとりが芽生えている。そう、のれんはゆとりも運んでくるのである。
のれんに腕押しも、しつづけると張り合いのあるものなのである。 |
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