其の参拾壱  
     
   原発事故から三年半が経過した現在、最も気になることの一つが福島県双葉郡の町村の今後の在り方である。ご承知のように、自宅に住めず、県内外に仮住まいする人々は今でも十二万人を超える。仮住まいの地に根を生やす人も多く、はたして元々の双葉郡の行政単位が、そのまま保てるのかどうか、という問題である。
 たとえばチェルノブイリ事故のあとには、幾つもの村が消滅したが、その代わりスラブティッチという新しい町が二年後に造られた。いわば合併による新生である。ここは事故現場から東へ五十キロ地点、当初は地表の放射線量が年間五ミリシーベルトという場所もあったのだが、天地返し線量を低め、被災者が優先的に住める一戸建てや高層の集合住宅を造った。現在は、福祉や教育環境が充実しているため、被災者以外も含め、約二万五千人が住んでいる。
 被災者のための新たな住環境として、このような町が造られないものかと、私は復興構想会議において提言した。ただその時に思い浮かんだのは、猪苗代湖南側の国有地、あるいはいわき市西部の国有林などだったから、浜通りの人々には寒すぎる懸念も、私自身拭いきれなかった。結局、会議では提言として採り上げられることもなく、その会議も解散してしまったため、いわばそうした大きな絵を描く場所がなくなってしまったのである。
 一つの町を新しく造る、というような話には、大多数の省庁が関係する。だから省庁を超えたあの会議のような場こそ重要だった。しかしあの会議では後ろに並んだ官僚の方々には、一切の発言が許されなかった。あまりに極端な官僚排除だったから、実際に決定事項を執行するはずの彼らが、背を向けてしまったのではないか。今となれば、そんな気もするのである。
 これだけ時間が経っても、新たな天地を夢見る気分はなくならない。そんなとき、私は名嘉幸照(なかゆきてる)氏が書かれた『“福島原発”ある技術者の証言』を読み、またぞろ新生合併の夢を憶いだしてしまった。
 名嘉氏によれば、双葉群の近海に瓦礫を埋め立てて島を造り、そこにさまざまな研究施設や居住施設を建てたらいい、というのである。住居はすべて高層にして放射線の影響を受けにくくする。埋め立てて造った関西国際空港の技術を以てすれば、瀬戸内海と太平洋の違いはあるにしても、今の日本の技術なら可能かもしれない。
 思えばこの国は、地震に対抗するように五重塔を造りつづけ、とうとうスカイツリーに行き着いた。今度は津波をあっさり凌ぐ人工島を目指してはどうか。沖縄出身の名嘉氏の提言には、我々を励ますような「夢」を感じる。そういえば昔、「ひょっこりひょうたん島」という番組に夢中になった。ひょっこり現れる双葉郡の夢の島を見てみたいものだ。 

 
東京新聞 2014年10月4日/中日新聞 2014年10月18日【生活面】 
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