東日本大震災 住民どう救う 
■命をつなぎ、長期の支援体制をいかに整えるか? 復興財源の確保も課題だ■
 
     
     
   今日、3月23日現在、私はなんとか無事である。福聚寺というお寺にいて、微力ながら被災者の支えになれないかと避難所を巡ったりしている。しかしこの記事が載る25日にどうなっているかは心もとない。私の住む福島県三春町も福島第1原発から約45キロしか離れていないからである。
 今回の震災はじつに複合的な災害だった。マグニチュード(M)9、震度7という未曾有の地震、そして大津波による被害、さらに原子力発電所の脅威が重なっている。
 こんなことは、阪神大震災でもなかった。被災した町も避難民を受け入れて救援活動をしている。しかも続く余震や原発への恐怖のため、救援物資や人的援助が最も困っている場所に届かない。大量死のご遺体は身元確認のすべもなく、放射線を浴びたご遺体は放置されているのである。
 被災者を救援するはずの病院も限界に近い。父が長期間お世話になっている病院も、医薬品不足に加え、重油が運ばれないため暖房も滞っている。通常なら真っ先に救済対象になるはずの場所にも助けの手が届かないのは、ひとえに原発への恐怖のせいだ。東京だけでなく、大阪市消防局まで駆けつけ、また電気回路の修復に努めてはいるが、まだ光明は見えてこないのである。
 そのような状況なのに、国は避難区域を20キロから広げない。しかも「屋内退避」を指示された30キロまでの地点には、運転手が怖がって物資を届けない。これでは「犬死に待機」地区ではないか。川内村民は村長の音頭で一斉に避難したが、いったいこの地区にはどのくらい住民が残っているのだろう。混乱を避けるため、悲観すべき情報は伝えない。当初の規定は変えない、そういう打ち合わせがあるのなら、東北人を見くびらないでいただきたい。避難所の様子も見に行っているが、彼らはお国の指示に従い世話する人々に感謝しながら、粛々と日々を過ごしている。早めに移動を指示し、手段を用意してくれれば決してパニックなど起こさないだろう。
「隊員の安全確保が『なにより』不可欠」と言った警察庁長官の気持ちも分からないではないが、「なにより」不可欠なのは膨大は無辜(むこ)の市民の被曝(ひばく)を最小限に抑えることだろう。
 人体にすぐに影響する値ではない、という繰り返された報道は、今や水道水、ホウレン草、原乳などの汚染値によってすでに破綻しているはずである。どこにウソがあるのか、地元の人々は疑心暗鬼に陥っている。「屋内退避圏」の外側の家でも、今や逃げる人と残る人とで一家離散状態なのである。
 津波ひとつでここまでコントロールできなくなり、そうでなくてもガラスで固化した廃棄物は30年から50年間冷却して貯蔵し、その後は300メートルより深く地中に埋めなくてはならない。このしぶとさは、まさに龍ではないか。龍が太平洋プレートという巨大な亀の背で暴れているのだ。
 ヘタなプライドやウソは、龍には通用しない。龍にも市民にも、「誠」をもって接しない国には、もとより龍など飼う資格はなかったのである。
  
 
     
毎日新聞朝刊「オピニオン」 2011年3月25日号