未曽有の大震災から一年が経ち、各地で追悼の儀式が営まれた。実に多くの人々があらためて悲しみを深くし、それでも新たな一歩を踏みだそうとしているわけだが、中にはそうできない人々もいる。行方不明者が今も三千人以上いることが大きい。 この震災では、死亡届のための手続きが簡略化された。通常なら必要な死亡診断書がなくとも、いや、遺体そのものが見つかっていなくとも、今回は死亡と認定することにしたのである。
お盆を迎えるために、その前に死亡届を出した人も多い。死者が戻ってくる中に、万が一あの人が混じっていたら、きっと何の準備もしていない状況では困るだろう。家は流されてしまい、戻る家はないけれど、せめてお葬式をして位牌をつくってあげたい。そう思った人々も多かったようだ。 しかし、お盆を過ぎても死亡届を出さなかった人々もいる。ある家族は「まだどこかで生きているような気がするのだ」と言った。「え?」あまりのことに聞き返すと、その人は言った。「津波のショックで記憶喪失になって、どこかの浜に流れ着いて、元気にしてるかもしれないじゃないですか?」
確かにそんなことがないとは言い切れない。それは切実な祈りのような思いなのだろう。私は黙って唇を噛みしめるしかなかった。
行方不明者が三千人以上いるということは、諦めきれず、そんなふうに夢見る日々を送る人々が、まだ少なくとも一万人はいるということだろう。実に多くの家族たちが、宙ぶらりんの日々を今も送り続けているのである。 一方で、身元確認のできていない遺体も多数残されている。むろんDNAを採取され、今は火葬にされてお骨になっているわけだが、お骨になった今も、家族との面会を待ち続けているのである。 今回の大震災では、各県に置かれている科学捜査研究所(科捜研)という警察の組織が大活躍した。福島県の場合、確認された遺体の20%ほどがDNA鑑定や歯科鑑定だったわけだが、その作業は県の科捜研だけでは間に合わず、他県にも依頼した。
本人の遺留した歯ブラシや櫛があれば、そこに付着した細胞からDNAは採取できるが、ただ遺体だけがあるという今回のような状況では、最初は心臓の血液から、もっと発見が遅い場合は爪から採取したのだという。 現場で検視に当たった方々の苦労もさることながら、今も県警は遺骨の落ち着き先を捜し続けている。 大勢の行方不明者と、帰る場所の知れないお骨たち…。一年が経ち、確かに大きな区切りではあるのだが、悲しみはまだ底をつかない
|