日本人は、お正月から「頌春」「賀春」と春を讃えている。節分にもまた「春だ」と喜び、そして「春は名のみの風の寒さ」など体験してから、いよいよ本格的な春の到来を植物の芽吹きで知る。「めでたい」はもともと芽が出ようとする状況を指す言葉だから、それはいかにも「愛でたい」春だ。冷たい強風まで「春一番」「二番」と数えるくらいだから、よほど春が待ち遠しいのだろう。
その思いが最大に膨らむのが「お彼岸」である。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉には毎年感心するのだが、実に言い得て妙である。
体内の細胞が、この頃から微妙に動きだすのを実感することもある。冬の間動かずに耐えていたさまざまなものが、植物の花芽と同じように大きく動きはじめるのだ。そんなとき、蕗の薹のような苦いものを食べると、固まっていた体をほぐすのに役立つらしい。そして、そんな季節に、この国では卒業や入学の儀式が行なわれ、出逢いと別れを孕みつつ新たな活動が開始されるのである。
この国の人々において自然の変化と人の気分の変化は、習慣や行事を通してすべてが連動していると言ってもいいだろう。
外国が九月の入学だからといって、そう簡単に合わせられるものではないのである。
ところでこの三月の福島県では、おそらく例年以上の人の移動があったのではないだろうか。
昨年の一月に六万一千人まで増えた県外避難者が、暮れには五万七千人まで減少した。聞くところによると、その多くは去年の三月に戻ってきていたらしい。
子供の健康のためを思って避難した人々の多くが、子供の入進学に合わせて戻ったということだろう。
震災から二年が経ち、放射線防護学などの専門家たちの「本当の見解」が、福島民報で連載中の「ベクレルの嘆き」などでようやく明らかになりつつある。事故直後に涙の記者会見をした内閣参与の小佐古敏荘氏なども、本当は校庭での線量制限を年間五ミリシーベルト程度にすべきと考えていたらしい。
なにゆえ一ミリシーベルトに固執したあの会見になったのか、それはICRP(国際放射線防護委員会)の委員の間でも謎らしいが、彼の行動がこれまでの放射線防護学の蓄積を無にしたとは、同僚からも批判されているようだ。
ともかく新たな気分で春を迎えたい。多くの入学進学と一緒に、この季節には転校生も多いはずである。懐かしい顔が、久しぶりに母校にたくさん戻ってくることを念じたい。
「人の噂も七十五日」というけれど、この国では七十五日経てば季節が変わるから、同じ気持ちを引きずるのは阿呆だと言っているのである。もうすっかり氷も融けたのだし、迎え入れる側も温かく迎えたい。
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