日曜論壇 目次
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第63回 さまざまの事
第62回 臆病になる勇気
第61回 選挙「権」について
第60回 翁忌に思う
第59回 屋根裏地獄
第58回 ヒューマン・エラー
第57回 「中間」貯蔵施設の行方
第56回 恵方巻き
第55回 「見識」から「厳罰」へ
第54回 オリンピックと原発
第53回 徳島にて
第52回 「マイナンバー」要らない!!
第51回 春が来た!
第50回 高橋亨平先生の思い
第49回 仮設のSさん
第48回 全国の線量調査結果
第47回 教育委員会という「飾り」
第46回 こどもの日の祈り
第45回 悲しみの底
第44回 ダルマの一文字
第43回 原発とTPP
第42回 「裸の王様」と、次の王様
第41回 人牛同病
第40回 急げど慌てず
第39回 大人と子供
第38回 計画病
第37回 「情報」という名の幽霊
第36回 死ねる病院はどこ?
第35回 墓地共用のすすめ
第34回 花散らぬ、嵐
第33回 七転び八起き
第32回 まもなくクランク・アップ
第31回 新作『阿修羅』のこと
第30回 さまざまな立場
第29回 生物多様性と多文化共生
第28回 団子と頭痛
第27回 さまざまな正月
第26回 金風
第25回 お寺のゴミ問題
第24回 私は裁きません!
第23回 なんのための改名か!
第22回 新しい郵便局にお願い
第21回 未然防止策?
第20回 奈落の月
第19回 ちょっと待って!
第18回 若冲展に思う
第17回 嗜好品という文化
第16回 約束
第15回 母から子への手紙
第14回 無鉄砲と、鉄砲
第13回 「小学校英語」必修化に反対!
第12回 木瓜と認知症
第11回 「満」と数え年
第10回 いくつもの春
第9回 ネコとヒトの教育
第8回 電話の電話、郵便の郵便
第7回 同期の不思議
第6回 御朱印コレクション
第5回 自燈明
第4回 帰りなん、いざ!
第3回 ウォーキング・サピエンス
第2回 形而上的おぼん
第1回 タケノコ狩りと自立
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桜が今年も咲き、大勢の人々が三春の町にやってきた。昔から「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」と言うが、今年は特に「人同じからず」を強く思った。
歳々年々人同じからずとは、本来は同じ人の年齢による感受性の変化のことである。経験や加齢、そして状況の違いなどで、同じ人が同じ花を全く違う思いで眺める。唐の劉希夷が歌ったのは桃や李の花だったが、日本人ならおそらく誰でも桜を思うことだろう。
満開の桜を見る人々には、遠きを厭わず車でやってきた家族もいるし、近所から押し車を押してきた独り暮らしのお婆ちゃんもいる。若いカップルもいれば、白髪の老夫婦もいる。同窓会のような団体もいれば、三脚を持参したカメラマン風の人々もいる。お酒で赤ら顔の人もいれば、俳句をノ―トに書き留める人もいる。仮設住宅から来た人もいれば、桜前線に従って日本を縦断している人もいる。
おそらく、借金に追われる人もいれば、株価の上昇で上機嫌な人もいるのだろう。
特に原発事故から五度目になる今年の花見では、年ごとの比較も思われる。震災直後の滝桜には、県内の人々しかいなかった。花の時期以外ならお寺から車で十分で着く滝桜だが、開花すると時には二時間以上もかかる。最近は殆ど行かなかった私も、あの年は久しぶりに見に行ったものだ。
前年まで三十万人以上いた観桜客は、その年は激減したものの、翌年には二十一万人まで回復した。一昨年も昨年も二十二、三万人と横ばいだったから、五年目の今年の数字が気になるのである。
今年は思い切って、私も十八日の晩に出かけてみた。盛りも過ぎたし、なんおか行けると思ったのだが、渋滞の列があまりに動かないため、途中で引き返した。嬉しいような、悔しいような、複雑な気分ではあったが、戻って女房と盃を傾けたのである。
さまざまの事おもい出す桜かな
これは芭蕉が、貞享五年(元禄元年、一六八八年)に故郷伊賀上野で詠んだ句である。芭蕉が凄いと思うのは、俳句が半分は鑑賞者の思いで成り立つことを、よく承知していることだろう。眼前の桜はどんな桜でもいい。そして「さまざまな事」は、あらゆる思いを受けとめて、桜と共に咲いて散る。
そういえば今年は、立ち入りが正式に認められた富岡町の「夜ノ森桜」の花見に誘われたが、行けなかった。通常芭蕉の句は、桜が眼前の景、さまざまの事は心中の出来事と解説されるのだが、今や「夜ノ森桜」のように、桜が心中の景、さまざまの事が身の周りの現実、という見方もできるに違いない。いずれにせよ、これは俳句の王道とも言うべき名句である。
福島民報 2015年 4月26日 日曜論壇