東日本大震災から10カ月。復旧、復興への道のりは未だ遠い。大震災は私たち一人一人に、さまざまな問題を突き付けた。寛容で美しい自然と、猛威を振るう自然という両義性。仏教の「無常観」という原発事故という終わりのない災禍。科学技術が約束してくれたはずの豊かさや平安が一瞬にして崩れ去るのを目の当たりにして、原発と文明、科学技術と自然や生命との関係について根源からの問い直しを迫られている。
 対談では、宗教者との連携をい求めて「宗教者災害支援連絡会」を立ち上げ、行動する東京大学大学院教授の島薗進氏と、福島県三春町の臨済宗妙心寺派福聚寺住職、また東日本震災復興構想会議委員を務める芥川賞作家の玄侑宗久氏に「地震、津波、原発事故」という未曾有の災害に直面して考えたこと、あらわになった問題、宗教者の行動、復興への未来図についての提言などを話し合ってもらった。
 
     
 
――今改めて震災、津波、原発事故を振り返り、考えておられることを語っていただきたい。  東日本大震災は第2次世界大戦以来の大きな出来事で、日本の歴史の方向を変えることだったのではないかと思います。ある歴史家が「1945年8月15日で日本の『富国強兵』のうちの強兵が終わった。2011年3月11日で富国というものにけじめをつけることにうなったのではないか」と言いましたが、なかなか味わいのある評価ではないかと思います。
 戦争で負けた時に、本当に貧しく、あらゆるものが破壊された荒れ地に立ったけれども、その後の復興が予期するよりも早くて、従って戦争の悲しみ、苦しみを振り返る時間から高度成長というところに転換するのが非常に早かった。
 戦争を通して、われわれはたくさんのことを反省し、考えましたが、それが熟さないうちに次の発展の方に移った。そういう思いを高度成長の恩恵に浴してきた戦後生まれの人間はうっすらと感じておりました。
 先に死んでしまいましたが、親たちの世代が今度の災害があったことを知ったら、そういう思いを語ったのではないかと思います。
 われわれは高度経済成長の中で生きてきて、そのことに責任のある世代ですが、その中で欠けていたものは何だったのかということを本気で考えなければならない。そういう出来事であったと思います。
 それは同時に、われわれの文化の根っこ、生きていく上でよりどころとするものをもう一度見直すという意味が入っていた。さらに近代文明全体の意味を見直すことも入っていた。
 これは近代史全体がひっくり返るような出来事だった。あるいは戦後の発展そのものを全部見直すというふうな意味合いがあった。宗教という観点から日本人のよりどころを考えるという意味があったのではないか。
 文明論的な転換がなされるべき大きなきっかけだと思います。けれども、復旧、復興ということがあり、「以前の生活を取り戻したい」ということがあるものですから、どうしても慣れた手口行きやすい。大きな転換がなされずに、今まで慣れた手口の方にに傾きがちです。今おっしゃった「強兵は終わったけれども富国」という方向ですね。
 ブータンの国王夫妻が来日されました。「富国」ということに対する強力なカウンターテーゼを引っ提げておいでになったという感じがします。「幸せである」ということが最上の価値であって、それは決して市場経済でかなうものではないという、はっきりとした信念を持っていらっしゃる。大学や国会で話をしてくださいましたが、どれだけ聞く耳があったのかとても気になるところです。
 3.11以後、やっぱり懲りてないんだな、ということが随所で感じられます。例えば銀行のATMシステムは、今まで全国9カ所で集約していた。東北は東北に拠点があった。郵便局もそうです。
 郵便局が「本人確認しなきゃいけない」とうるさいことを言い出しましたよね。「本人確認しなきゃいけない」とうるさいことを言い出しましたよね。「本人確認」を子どものころから知ってる関係の中で要求されて、システムに人間が使われるような状態になっていた。そういう集約的なシステムの中心に原発があったという自覚がない。
 ですから3.11以後、9カ所あった集約施設を全国2カ所にするといって、銀行も郵便局も東日本に一つ、西日本に一つに集約するというわけです。全く分かってないんだということが、あらわになった感じがしています。
 3.11からまだ1年たっていない段階で、とにかく応急処置をしなくてはならない。お役所とか企業とか、大きな組織ほどそういうことだと思います。宗教でも大きなものほいど変われない。新しいことが認識できないという状況です。
 大きいことがいいこともたくさんあるのですが、こういう時には大きなことが障害になる。
 私の場合は宗教学をやりながら、できるだけ普通の人たちが生活しているところに近いところで物を考えてたいと思ってきましたので、今回もできるだけ地域の方のお話を聞いたり、若い人のお話を聞いたりしたいと考えました。
 できるだけ現場に近いところからの話を聞くと、明らかに認識のギャップがある。これはだんだん是正されてくると思いますが、現場感覚に近い路線で新しい方向が見えるようにしなければならないところに来ている。
 それは政治においても、企業等においても、経済においても、あるいは報道においてもそうですし、学問においても宗教においても、まさにそういうことが言えるのではないかと思います。


 先日、日本民間放送連盟(民放連)で講演した後、シンポジウムがありました。そこで出たのは「遺体を全く映さなかったが、それでいいのか」という話です。
 関東大震災などの映像や写真には、遠景ではあっても遺体は映っている。ところが今回、人の遺体はもちろんのこと、犬猫の遺体も映さなかった。カメラマン自身がカメラを引いちゃうんですね。
 それは日本人の惻隠の情とか美意識とつながって」いる部分もありますから、一概には言えないと思いますが、この震災がどれほどのものだったのかを後世に伝える意味で、その絵は必要ではないかという意見があって、それはそうだという意見が多かった。
 ところが撮ってないんです。撮ったのを出していないのではなくて、日本の報道の人たちが全く撮ってないんです。
 私はたまたま韓国人のクル―が撮った画像を見たんですが、これが同じ被災地なのかと思うぐらい、画面の中で何人もの人が泣いていました。
 あの災害ではあちこちで泣いているはずです。子どもも大人も泣いている。ところが日本人のカメラマンは泣き顔もモロには撮らない。だから泣いている様子も伝わってないんです。
 文化的なものと密接につながっていると思いますが、伝えるという観点からは疑問の残る報道姿勢ですよね。
 私も関東大震災の時の映像を見たことがあります。隅田川を遺体が流れている状況を映したものでした。現代の傾向として、どの国でも自国民の遺体は映しにくい。外国人の場合はあまり抑制が働かないことがあるようです。だかtらそれは慎みということかなと思います。
 おっしゃるように日本の市民も報道機関も、被害を小さく見せたいという意識が働いたのかも分かりません。けれども、人の苦しみや悲しみを露骨には映したくないという気持ちの中には、慎みのようなものがあり得ると思います。
 ですから、日本人が見つめる力を失ったのか、それとも見つめながら抑制を働かせたのかというところは、今後考えていかなければならない。
 これは、その後のプロセスで回復すべきことといいますが、隠れていることを明らかにしていく働きが長く続くはずだし、そのために骨を折っているジャーナリストや、いろいろな立場の人がおられると思います。
 私も何人か、福島県の方の3月11日以後のことを語るインタビューやモノローグを伺って強い衝撃を受けました。自分が知らなかったことに、まずかったという思いを持ったことがありますので、これから、報道の面でもそういうことを明らかにしてほしい。
 宗教界は人には見えない悲しみや苦しみが語られる場に近いところがあると思います。ですからぜひそういうことを今後明らかにしていき、共に振り返って考える機会を増やしていけるといいなと思います。


――自然と共に生きてきた東北の人たちの被災状況は何を教えておいるのか。自然と親しんで生きてきたけれども、自然に打ちのめされるということについて、何を考えることができるのかという点に言及していただければと思います。 
 地震、津波は自然と感じられるけれども、原子力は果たして自然と受け取れるのか、それがまず大きな問題です。
 自然との交流、自然界の循環というものを輪廻と捉えた東洋的な見方を仏教も肯定していると思います。ブッダは、そこからの解脱を説いたわけですけれども、その考え方は、生態系という概念ではないかと思います。
 1935年にタンスレーというイギリスの生物学者が初めて生態系という考え方を提出する。人間も動物も植物も、あるいは無機物も全てが関係しあっているというエリアを初めて意識するんですね。
 それが長い目で見れば輪廻しているという考え方は、仏教になじむものです。縁起とか生態系の中のコミュニケーションというのは、原子核の周りを巡っている電子のやりとりのようなものだと思います。それが行われることでコミュニケーションができて、変化が起こり、それが繰り返される。
 原子力は、電子が回っている原子核の中のエネルギーを取り出してしまう行為ですよね。地球のマントル、あるいは太陽で起こっている出来事です。ですから普通に考える生態系の内部の出来事ではない。生態系の外側の現象を生態系に持ち込んできたのが原発です。しかも出てくる放射性物質の半減期の長さは、無常の原理に反するものです。
 循環もしないし、無常でもないという意味では、生態系に入れるべきものではないのではないかと思います。その意味で仏教では認められないのではないか。
 ただ、放射性物質が降ってしまった現状を何とか復元しようとしているのも自然の力でして、粘土粒子とセシウムが合体すると、植物には吸い上げられないということが分かってきた。
 田んぼと粘土粒子が多い土壌はありません。これはチェルノブイリにもスリーマイルにもなかった状況です。ですから田んぼの予測が当初と全く違っていた。あまりにも粘土粒子が多いので、吸い上げない状態にしてくれたのです。
 なぜ粘土粒子が多いのかというと、火山国だからなんです。火山国だから、地震が起こって、津波が来て、原発事故が起こったのに、それを救ってくれているのもまた火山国であるがゆえの不思議な状況だと思います。
 地震・津波の災害という観点から見た自然と、原発災害から見た自然はだいぶ違うと思いますね。私も仙台から宮古まで沿岸地域を2日かけて車で走ってみたんですが、居住地域が流されている地域では、あっという間にのみ込まれてしまった人々のことを思うと、声の出ないと言いますか、胸が詰まるという感じでした。
 しかしその後、帰ってくるのに通った花巻、盛岡へ向かう道で、自然の美しさ、緑がまた素晴らしい。大変残酷な、無残な情景を見た後に、自然の素晴らしさを見ると、また声が出ないという経験をしました。
 日本人の宗教感覚とすごく共通している「無常」ということ。無常というのははかないけれど、そこに大いなるものを感じ、循環していくものの中に安らぐような意味も入っている。
 ですから、これから岩手や宮城の復興は大変ですが、自然の大きなリズムに帰っていくような感覚がだんだんよみがえってくるのではないだろうか。
 例えば伝統芸能を復興の力にするとか、追悼の宗教行事に復興への願いを懸けるといったことの中にも現れていると思います。
 それに対して福島の状況を考えると、希望が浮かんでこない。暗い方へ気持ちが行ってしまう。放射線量が多い地域の方のことを考えると本当に大変だと思います。

 
中外日報 2011年1月1日